虚を突かれる形で襲撃を受けた為、男とその供が狼の牙に屈するのにさほどの時間はかからなかった。
…ごめん待たせた
狼は地に伏せた男の上にのしかかり、その首筋を軽く銜えながらこちらに目をやった。
供の者が腰に下げた剣を取り上げてしまうと鞘から抜き払い、二人に突きつけた。
「いつまで寝てるつもりかと思った」
匂いを追いかけるのなんて久し振りだからちょっと時間がかかったんだよ。ゼルダ様ももう少しでここに来る
「わかった」
二人は目の前の女は何と話しているのだと言わんばかりの怪訝な顔をしたが構うことなく、剣の切っ先を男に向けた。
「良かったな。姫さんがもう少しでこっちに来るってさ。あんたが何するつもりだったか親身に話を聞いてくれるんじゃないのか」
狼の脚の下、伏せたまま男はくぐもった声を上げた。
「…何が不満だ。影の世界の人間とは我らと違い日の光と相容れない存在だというではないか」
「とりあえず全部だ。あんたみたいな人間に影の世界の土は踏まさない」
「…後悔するぞ。この地を追われた罪人が今更出戻ったとて上手く行くものか」
「…ああそうかもしれないな。でも私は決めたんだ。最後までやるって」
狼に男の上から退くように言うと男を立たせ、供の者と一緒に先立って歩くように促した。
おそらく城が造られたのと同時に張り巡らされ忘れられた隠し通路の一つであったのだろう、しばらく歩くと、前方にランタンの明かりが灯るのが見えた。照らされたその姿はゼルダと衛兵達だった。
「…ほら、行けよ」
剣先で脅して男達をゼルダの方へと追いやり、兵士がその周りを取り囲んだのを見届けると剣は投げ捨てた。
怪我はなかった?ミドナ
狼は尻尾を振りつつ尋ねた。
「そりゃこっちの台詞だ。あの時凄い音がしたぞ?」
膝を折り狼の頭を掌でそっと、何度も撫でると狼は目を細めた。
丈夫が取り柄だからね。なんてことな
狼の思念はしかし、風を切るひゅっという音で遮られ、次いで狼が重たく己の腕の中に倒れ込みその脇腹に短剣が深々と刺さっているのに目を瞠った。装飾と実用を兼ねた、身分が高い者が持つのであろう造りの短剣だった。
短剣が飛んできた方向に視線を投げると兵士達に囲まれたあの男が人垣の隙間からにやりと笑うのが見え、ゼルダが顔を真っ青にするのが見え、何が起こったのか察した兵士達は怒号をあげた。
狼の脇腹から滲み出す血は石畳を赤く染めつつあった。
「…おい、リンク!?」
念話を強く、限界だという位強くぶつけてみても反応は感じられなかった。
「…リンク?」
顔から血の気が退いてゆき、胸郭に冷たいものが満ち-そして目の前の狼の状態に動揺するよりも何よりもどうしたらそうできるのか、冷静に考えてしまうと実行に移すことにした。
「…教えておいてやる」
狼を抱く腕に力を込めた。
「魔法を使う時にロッドを持ったりするのは魔法の力を実体化する時に依代が必要だからなんだ。けど私にはそんなものは要らない」
冷たい怒りは身体の隅々を浸すと次なる場所を求めて内から外へと広がっていった。
おそらく兵士達にも、ゼルダにも、そして男にも何が起こったかわからなかったことだろう。
黄昏色の髪が植物の蔓が伸びるがごとく、だがそれより何倍もの速さで長く長く伸びてゆき、意志を持つもののように這いうねると兵士達を押し分けて真中の男を絡め取ったのだ。
「…こういうのは化け物みたいだからもうやりたくなかったんだけどな!」
髪が体を、首を、締めつけると男は悲鳴にならない悲鳴をあげた。しかしそれに逡巡することなく髪に力を籠めてゆく。
叫んだのはゼルダだった。
「…いけませんミドナ!」
そしてゼルダのその声に呼応するかのようにかそけき声が-声というより思念が-伝わってきた。
…そうだミドナ。そんなことしたらいけない…僕は大丈夫だから…
狼は青い瞳を見開くと己に向けていた。
闇に憧れ闇を崇める者が家臣の中にいます、と、ゼルダは言った。
…闇を?
ええ。そのような言葉がハイラルがトワイライトに沈んでいた時に何度か出たと陛下が言っておいででした
何だよその物好き
ただの物好きであれば良いのですが後々の憂いにならないとも限らないと思っています。ですのでミドナ、あなたに一芝居打って頂きたいのです
それが条件か?
そうです。それが彼一人の思想なのかあるいはその後ろに何者かが集団でいるのか聞き出して証拠を得たいのです。協力して頂けるのならあなたが先程言ったことを私がハイラルの王女として可能な限り実現できるよう努力します
…いいさやってみようじゃないか。でもどうやるんだ
噂を流してあなたに接触するよう仕掛けてみましょう。多少の危険が伴うかもしれませんがリンクにあなたの供をさせます。彼なら上手くあなたを護ることができるでしょうから
…リンクにはこのことは?
いいえ。これは私と…ミドナ、あなたの間だけの話です
騙すみたいで気が進まないな
人の上に立つ者ならこういう判断は度々ではありませんか?あなたが一人で鏡を壊すことを決意したように
…
…
…
…