タコとイカが出会ったりどつき合ったり

 濃い霧が出てるのにやけに正確にこちらの位置を狙ってインク弾が飛んでくるなと思っていたら、そいつは唐突に霧の向こう側から姿を現した。
 ……今までずっと生まれついての相容れない存在だと教えられてきたけど実際に見たことはなかった、でも自分たちとは違うってゲソや目元の外見的な特徴でわかる。イカの女の子。自分と大して年は違わなさそう。境界地域の山の中で出くわすにしては随分な軽装だった(これは自分もイカのことは言えない)けどその気迫は物騒なものだった。
 ただ女の子もこちらの姿が見えていたわけじゃないのかちょっと意外そうな顔をして、それでも構えていたごついシューターの銃口が向いた。
「戻って。こちら側はイカのナワバリなの。別にあんたに恨みがあるわけじゃないけどね」
 警告するイカ語はそう聞こえた。でもはいそうですかと退くつもりもなかったのでイカ語で答えた。
「……退イテクダサイ。僕モアナタニ恨ミハナイデス」
 自分が携行してたのは訓練用の出力も弱いシューターだった。女の子のシューターに比べたら力負けしそうだけど当てればちょっとの時間稼ぎ位はできる筈。
 そう思ってとりあえず距離を取ろうと横っ飛びに跳ねて腰のホルダーに手を伸ばして――次の瞬間シューターは飛んできたインク弾に弾かれて霧の向こうに消えた。
 霧の中どこに吹っ飛ばされたのかもわからないシューターを探して拾い上げてる暇なんかない、そこからはひたすら逃げるだけだった。位置は捕捉されてるらしくて何度か霧の間から女の子の姿が間近になって、インク弾も自分をかすめて、でも接近する度女の子の表情にとまどっている様子が増していくのが見て取れた。
「じいちゃん、あんなタコ相手に過激すぎない!? もうやる気なさそうだし追っ払うだけしたらいいでしょ!?」
 悲鳴みたいな声が聞こえたけどどこかの誰かと話でもしてたんだろうか。

 奇妙な地下鉄の駅で出会ったこれまた奇妙なイカのおじいさんに言われるままなのは嫌じゃなかった。おじいさんはこの地下鉄から出て行きたいし自分もそうしたい。あの歌が聞こえる場所に行きたい。
 そう思って自分たちとは種族の違う乗客が静かに座る地下鉄に乗って駅って名前のついてる変にねじれた空間をなんとか駆け抜けて過ごしてきたけど、そうこうするうちに頭の中にかかってた霧みたいなものがゆっくりと晴れていくのがわかった。ものの形がぼんやりと浮かんで、次第にはっきりと輪郭がわかってくるように。
 ただ霧は完全に消え失せたわけじゃなくて、だから天井を突き破ってやって来て自分とおじいさんが閉じ込められてたミキサーを軽く粉々にしてくれた女の子の姿にはなんとなく見覚えがあったけどその時は誰とは確信が持てなかった。
 女の子があの時山中で出会ったイカだと自分の中でやっとその姿が重なったのはとても間の悪いことに本当に本気の撃ち合いの最中だった。

『3号さん、リミッター外されちゃってるみたいです……』
 NAMACO端末のスピーカーからは確かにそんな声がした。端末の向こうのイイダはこの施設の各所に設置されてる監視カメラをハッキングしててこちらの状況はわかるみたいだ。
「リミッターッテ!?」
『アタリメさんの言う通り3号さんの顔にくっついてるぷにょぷにょが3号さんを動かしてます。8号さん知ってますよねああいうのスペシャル攻撃ってインク量以上に本人の精神力に依存するから続けては使えないものだって。それを脳に無理矢理干渉して連発させてるんです』
「ジャア、アレヲ剥ガセバアンナコトデキナイッテコトデスカ」
『そうなります。あまり長く干渉されっぱなしだと取れたとしても3号さんがどうなっちゃうかわかりませんよ』
「……怖イコト言ワナイデクダサイ」
 3号と呼ばれる女の子は体の回りにインクの球体をまとわせて追いかけてきた。こちらの弾が通るか自信はなかったけど撃ち返すと球体は派手にはじけた。
『ハチ、やっちまえ!』
 けしかけるヒメの声が聞こえたけど球体のバリアがなくなるのと同時に被弾するのを怖いくらい機敏な身のこなしで避け切ってしまい、3号は中空のアタリメおじいさんが吊られた足場にジャンプした。 
 3号の着地で足場は大きく傾いで、アタリメおじいさんは大きく揺られながら叫んだ。
「8号! ワシに構わず3号を撃てー!」
 間を置かず空気が嫌な感じに唸ったので後ろに飛び退るとこちらに向かって轟音を立てて飛んできたのは圧倒的なインクの奔流。
 こちらのシューターの弾は届きそうにないけどやられっぱなしになるつもりもない、腕にありったけの力を込めて足場に向かってボムを投げた。上手いことボムは足場に乗り破裂したようだから3号にダメージが入ったかもしれない。
『やったか?!』
 ヒメの歓声。
 と、アタリメおじいさんの声が響いた。
「……まだじゃ、まだ終わっとらん!」
 足場からまたこちらに向かって3号が跳ね飛ぶのが見えた。直感でわかる、あれはまともなものじゃない。たまらず床に散る自分のインクに向かって退避し潜ろうとした。
 ……どぉん!
 着地の衝撃でインクがドーム状に撥ね広がった。あんなのを食らったら潰される。インクのしぶきの隙間からドームの中央に立つ3号の視線がこちらに向いて、ジャンプ。まただ。また同じ攻撃。
 ……どぉん!
 コンテナにインク弾を何発も撃っておいてよかった、既のところで床に散る自分のインクの中からわずかな波も立てないようにこっそりコンテナ側面のインクに移った。
 ……3号がどれだけあんな攻撃を連続できるのかはわからないけどインクの中に隠れてたって状況が良くならないどころか悪くなるだけなのはわかった。それにイイダに言われたことも気になる。
 考えをまとめるのに長くかかった気がするけどほんの少しの間のことだったろう。
 幸いなことにコンテナ周りの自分のインクはまだ残ってたからゆっくり、ゆっくりと波一つ立てないようにそれでも急いでコンテナの3号に向いた側から反対側に移動して――3号は攻撃の手応えのなさに一旦足を止めこちらを探してる様子だった――静かに体をヒト型二腕二足体に戻した。
 上手くいきますように、そう思いながらコンテナの影からずっと自分に付き合ってくれたシューターの銃口を3号とはできる限りでなるべく離れた方に向けて、引金を弱く、それでもインクはほんの少し射出できる位の力加減で引く。
 ぱたり、というインクがインクに落ちる音がして、次の瞬間音のした方向に3号が駆けだしただろう足音が聞こえた。……高く跳ねる3号の姿が見えたのでコンテナの影から脱け出す。
 ……どぉん!  
 またインクのドームが広がったけど今度は十分な距離とこちらの余裕があった。ドームの中央の3号に銃口を向けて――弾は3号の構えたシューターに当たり、シューターは跳ねてフロアの隅に飛ばされインクに塗れた。
 3号が空になった掌の中身と、フロアの隅と、そして自分の方にそれぞれ目を向けた。
 次の瞬間自分の方に飛んできたものに押し倒され背中をひどく打って何が起こったのかと思った。3号にのしかかられて腕を掴み上げられてるんだと、どうやら3号のシューターを拾うよりこちらのを強奪する方が早いと判断したんだとわかるのに数秒かかった。背中のバッグがクッション代わりにならなかったら頭を強打してただろう。
 ……見上げた3号は確かにまともな状態じゃなさそうだった。息は大分荒く、普通ならこんな時闘気とか殺気とかそんなのが顔に出るものなのにまるで表情らしい表情が浮かんでなかったので。
 3号の顔に貼りつき脈打つものは身体の力にも干渉してるのかシューターをもぎ取ろうとする手左腕を抑える手はゆるみもしなかった。……ただ3号の体はこちらの体を押さえつけ切るには軽い。
 背中左側から肩に力を込めててこのようにするとほんの少し体の右側が床から浮いた。それで十分だった。右脚を曲げて思い切り床を蹴り体をひねるとその勢いで3号を突き飛ばした。
 シューターはかろうじて手放さずに済んでいたから銃口を受け身も取らずに転がった3号の顔に向ける。イカの顔面にインク弾なんか撃ちたくなかった。
「恨ミハナイデスケド、ゴメンナサイ」
 口にしてふっと、以前もこんなことを言った気がした。
 そして何故か、起き上がりかけた3号の動きが止まってきょとんとしたような表情を浮かべた。

 何はともあれアタリメおじいさんを下ろした。かなりの時間吊られてた割にはおじいさんは元気そのもので、頭を一振り二振りするとふらつきながらもしっかりと立ち上がった。こちらはどうやら大丈夫そうだ。
 そしてそうだ、顔に貼りついてたものが取れるなりまた倒れてしまったあのイカは。
 歩み寄りその脇に膝をついて、肩を掴んで仰向かせると軽く頬を叩いた。
「……アノ、シッカリ。シッカリシテ下サイ」
 もう分かるこのイカはあの時山で会ったイカだ。自分を山中からあの地下鉄の地上の朽ちた接続口近くまで追い立てたイカ。頭の中でぼんやりとぶれていたものの輪郭がはっきり明るくなって、これまでのことと重なった。
 3号と呼ばれてた女の子の息は気を失ってもまだ荒かった。干渉が体に随分な負担だったのかもしれない。改めて見ると手は小さくて足は細い。肩も薄いものだった。
 こんな体でよくもこれまであんな風に。もちろん飛び道具はちゃんと支え持てさえすれば体格の不利はある程度補えるものだけど。
 自分の横にしゃがむとアタリメおじいさんは節くれた手で気遣わしそうに3号の目元に触れた。あのネリモノが剥がれた跡は少し傷になってて痛々しい。
「3号なら心配いらん、荒っぽいことの場数は踏んどるからな。それより8号、様子を見てきてくれんか? そろそろ地上に出られる塩梅じゃろ」
 アタリメおじいさんはフロアからまっすぐ上に伸びる梯子を指さした。本当に大丈夫なのかなと思ったけどおじいさんが言うならそうなんだろう。
「ワカリマシタ、3号サンヲオ願イシマス」
 頷いて立ち上がり、梯子に足を向けた。


「……そんなのだったっけ?」
 何気に右の目元に手をやった。
 時々ハチと一緒に食後のお茶をしながらお互いの記憶のすり合わせをする。ハチのは地下への落下のショックによる一時的健忘とかそんなのらしくて大分記憶を戻していて、タコの街がどうとかいう話をしてもらえることもある。でも自分の顔にネリモノがくっついてた時のことは真っ暗闇でどうも戻る気配がなかった。残ったのは変な感じにぼこぼこした傷の跡だけだ。
 ハチは頷いた。
「ですよ。タコの戦闘員の女の子でもあんなことスペシャル攻撃てんこ盛りする子はいません」

 ハチは散々やり合った時のことが元で自分を気に入ってるっぽい。女の子としても期待されてるみたいだけどちょっとお気楽すぎるような。だってイカとタコだし。
「……ハチ、イイダから聞いたんだよね? ネリモノが私を動かしてしてたんだって。それってチートみたいなもんでしょ、本当の私じゃない」
 誤解されてるなら解けたらいいなとか思いながら言葉を選んだ。でもハチは首を振る。
「そういうものが3号の中にはあるってことです。3号が覚えてなくても僕はちゃんと覚えてますから十分ですよ。それに」
 カップを片手にハチはもう片手の指でこめかみのあたりをこつこつと叩いた。
「それに?」
 その表情がふいっと緩んで頬が染まる。
「僕はあんな風に女の子に押し倒されたのは初めてです」
「……ハチって好みが変じゃない?」

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