ガンパレードマーチ・その9

※未完※

 一目惚れ。 
 ある日、それは突然金盥のように頭上に降ってきた。 
 彼女は小柄だった。小柄というよりは子供だった。
 手足と体はとても、とても細かった。
 細っこい体のてっぺんに乗っている顔にはしかし、零れるような笑みを浮かべていた。
 彼女が睫の長い、大きな瞳でじっとこちらを見て、
 「せとぐちたかゆきくん…たかちゃんってよんでいい?」
 と言われたとたん、魂の底が抜けるような心地がした。
 彼女の名前は東原ののみという。
 いつが初めてだったかなんてもう忘れた、年齢の割には女性遍歴は多い方だろう。
そりゃあもうお嬢様から不良娘から年上から年下から、だって俺を独りにしておいてくれないかと頼んだって向こうの方から寄ってくるんだから仕方がない。来るもの拒まず、花を愛でて何が悪い。 
 というような開き直った日常生活の元、大した動機もなくふらっと入った戦車学校でがつんとやられた。
 俺はもしやあの娘に愛情ではなく保護欲をかきたてられているんではあるまいか。
 何せ一桁の年齢のちびっこだぜ? 
 という疑問に胸に手を当てて考え込む夜が何日か。
 しかし何時間かの思考の堂々巡りの結果、いつもこの答えに戻ってきた。
 この気持ちはイエスだ、ラブだ、と。
 結論を出した後は悩まなかった。 俺はののみを守る。抱きしめるんじゃない、ひたすら守るラブだってあるさ、と。

 「瀬戸口君、差し入れ」
 「おー」 
ジャッキアップした指揮車の下から這い出した瀬戸口の手に、速水はよく冷えたジュースの缶を押し込んだ。
 「本田先生から。石津と加藤と中村が今何か夜食を作ってくれてるらしいから、もうちょっと待ってね」
 「あいよ」
 整備のために灯されたきついライトの光に照らされる速水の顔は埃で真っ黒だった。今日の彼は出撃したというのに戦闘終了後も帰宅することを許されず、整備に連絡にとあちこち走り回っていた。というのもここ最近、幻獣が連日のように襲撃してくるからで、以前なら一回出撃して1日位は保守整備にかけられたのにその間がとてもなく、文字通り寝る間も惜しんで小隊全員で士魂号のレストアにあたっていたのだ。本来なら一番休養が必要とされる筈のパイロットまで駆り出して。 
そして普段ならのらくらとどこかにフェイドアウトしてしまう瀬戸口ですら原女史に首根っこを捕まれ、にっこり笑って居残りを命ぜられる羽目になったのだった。
 瀬戸口は指揮車に背中を預けると、プルリングを引いた。速水はもう一つ缶を掴んだまま、首を巡らせて何かを探している様子だ。 
 「ののみは?」 
 「もう11時だぜ?子供はとっくにオヤスミナサイの時間。ヨーコさんに寮まで連れてって貰うように頼んだ」
 「そっか」 
 「温くなるぜ、飲めよ」
 「うん」 
 瀬戸口の隣にしゃがみこむと、速水もリングを引いた。 
 「…今日は帰れるかな」 
 「今夜はお兄さんと詰め所で一緒に寝るかい?シャワーもあるし」 
 速水は瀬戸口の言葉を思いっきり無視した。
 「冷蔵庫の中身がちょっと心配なんだ。日持ちの悪いものが入ってるから」
 「お前ね、そんなに俺のことが嫌い?」
 「舞が聞いたら三日は喋ってくれない 」
 「ふーん」 
 にやり、と人の悪い笑いを閃かせると、瀬戸口は腰をおろした。顔を速水の顔に近づける。
 「で?あの女とどこまでいったんだ、速水」
 「とりあえずキスを」 
 「それはそれはおめでとう。噛みつかれたりしなかったか」 
 「逃げられないように腰をホールドしたんだけど、足を思いっきり踏まれちゃった」
 速水はしょげ返った顔で空にした缶をべきべきと握り潰した。ちょっと怖い。
 「…」 
 「慣れてないのかなあ。あの子僕と同い年なのにね」
 「もしかしてあっちゃん、可愛い顔して案外経験値高いですか?なんだかお兄さんは意外だわ」 
 速水は瀬戸口の鳩尾に肘鉄を入れた。
 綺麗に決まった。
 「普通だよ」 
 「まーあの手の女は一回ヤっちゃうと大人しくなるかもしれん。めげずにトライだ不承の弟子よ」
 「あのね、瀬戸口君」
 「あによ」 
 「人に色々言うけど、瀬戸口君は自分のことどうなの?壬生屋とか…」
 速水はじとーっと、瀬戸口の瞳をみつめた。その真っ直ぐさが心に痛い。
 「さあね。壬生屋もまだまだ、ガキだし。あと5年したら考えてもいいかな」 
 とても壬生屋より更に年下の相手に魂泥棒されたなどとは口に出せなかった。プライドの問題では絶対になく。そう、変な噂が出れば辛い目に遭うのはののみの方だ。速水のことは信頼しているけれど少なくとも学校の中には何があるかわからない。そしてののみにはこの学校以外に身を寄せる場所がどこにもない。彼女と自分の身を守るには挙動不審なことはしない方がが得策というものだ。 
 「ののみ?」 
 速水はぽつっと呟いた。
 心臓をわしづかみにされるような感じを瀬戸口は覚えた。口をぱくぱくと動かす。
 その動揺をよそに、速水はぽわわんと笑った。
 「…なんか、苦労するね。お互い。色々と」
 「…おい」 
 「いい子だよね、ののみ」
 それだけ言うと、瀬戸口の手の中の空き缶を取り上げた。立ち上がって埃を払う。 
 「さーて、今夜こそ家に帰れるように頑張ってお仕事お仕事」 
 「おい、速水」 
 「夜食を作り終わったら中村もおっつけ戻ってくるから、それまで頑張ってね」
 手を振ってプレハブの方へ歩き出した速水の後ろ姿を、瀬戸口は豆鉄砲を食らった鳩のような面もちで見送った。

 そしてその翌日、出撃。
 1番機が特攻した。
 2番機と3番機がフォローに回った。
 壬生屋のばか。
 「今日は2時には帰れたし。腐りそうなものは今朝捨てたし。今夜は何も心残りはないよ」
 「お前、そんなんだと後で暗い青春だったなあって回顧する羽目になるぜ」
 サンドイッチを配って歩く速水もちょっと生気がない。小隊全体に覇気がない。先刻から壬生屋が行く道会う人の一人一人に頭を下げ下げしているけれど、謝られたところでどうになるものでもない。壊した以上は、そして明日も出撃があるかもしれないという可能性がある限りは、その次までに機体をベストまではいかなくとも使える程度にはしておかないとだ。
 士魂号がぼろぼろになって帰還する割に今までパイロットに致命的な怪我人がいないのはもっけの幸いで、そして壬生屋にも決して悪意はないのを皆知っているから結局大人しく持ち場に就く。
 そしてまた瀬戸口は原のにっこりに捕まったのだった。 
 もちろん捕まった以上は仕事をすることにやぶさかではない。というか今この場で逃げると後が怖い。
 サンドイッチを包んでいるラップを破って三角形の白い物体を口につっこみ、工具箱を広げているとやはり同じものを手にしたののみがやってきた。猫の手も借りたい状況では彼女ももちろんお手伝い要員だ。
 「たかちゃん、ののみがおてつだいできることはありますか」
 「そうだな、俺、これからまた指揮車の下に潜らないといかんから。俺がスパナ取ってーって言ったらスパナを渡してくれるととってもらくちん。できる?」
 「うん、できるよ」
 「その前にサンドイッチ食べときな。お腹減っただろ?」
 ののみは頷くと、ラップを開けて中の一つを手に取った。ちょっと大きいようで随分食べづらそうだったが、それでも一生懸命頬張っている。
 その様子が微笑ましいので思わず手を止めて眺めていると、ふと気がついた。
 ののみの目の下の濃い影。くま?不健康な大人じゃあるまいし。ののみは色白だからいっそう、影が目立つ。俺はこれに何日気がつかなかったんだ?
 「ののみ、最近ちゃんとご飯食べてる?ちゃんと寝てるか?」
 「うん、たべてるよぉ。ごはんはね、じぶんでもつくるんだけどせいかちゃんとかゆみちゃんとか、みんないろいろもってきてくれるの。ごはんをたべたらまいちゃんとこにいっていっしょにねるのよ」
 ここ数日は森も新井木も芝村も、ハンガーの住人になっている。楽しい食卓と安心できるベッドが今のののみにあるのか?否。
 「…今日はののみ、サンドイッチ食べたら帰りな」
 「どーして?」
 「どーしても。寂しかったら誰か寄越すようにするわ」
 「それはだめなのよ」
 「なんで。委員長に一言言っておけば構わんさ」
 「あのね、おしごとのてつだいをすればみんなのおしごともはかどるのよ。でもだれかがぬけたらそのぶんをみんなでがんばらないとなの。だからののみもおてつだいしていくの」 
 大人なら。大人ならそこまで言われたら止めない。でもののみは子供だ。一人が寂しい位に子供だ。
 瀬戸口は工具箱を広げるのを止めた。

「ねえまいちゃん」
 「何だ?」
 「ののみはたかちゃんにおじゃまむしですか」
 「何故?」
 「だってののみ、おてつだいするっていったのにたかちゃんはかえんなさいって。まいちゃんといっしょにかえんなさいって」
 舞は布団から半分だけ顔を出しているののみの頭を撫でた。
 「そのようなことはない。安心するがよかろう」
 「だあって」
 「瀬戸口は瀬戸口なりにそなたのことを気遣っているのだ。そういう人間は貴重なのだから言うことはよく聞くがよい」
 と、ある人間の名前が口をついて出てきそうになったが、言うのはやめた。この場においては何も関係のない男の名前だったからだ。
 「思うにそなた、少々無理していたのであろう?それが瀬戸口の目についたのだ。無理も良いがそれで人に心配をかけるのは本末転倒だろう。委員長もやかましいことは言っておらんかったし、休めるうちに休んでおくことだ」
 舞は読んでいた本を閉じた。ののみは寝息をたてている。
 瀬戸口はハンガーを訪ねてくるなり言ったものだ。
 ののみを部屋に連れて帰って飯食わせて風呂に入れて寝かせてきてくれないかと。
 『私は今大変忙しい、見て判らぬのか』
 『俺も同じような状態だからよくわかる。が、ののみがちょっと限界っぽい』
 『そなたが連れて帰れば良いではないか』
 『俺が一緒に風呂に入って添い寝していいならそうするがね』
 『犯罪行為だな』
 『3番機の整備もあるんだろう?だからこのまま帰れとは言わん、ののみを寝かせたらまた戻ってこい。委員長には言っておいた』
 ぶっきらぼうな言葉の反面、頭を下げる。他の人間の目もあるのに。
 『…まあ許可があるのなら良いが。一つ聞くが、何故私だ』
 『お姫様が一番ののみと仲が良さそうだからな』
 『ふん』
 そして、先刻の会話に戻る。ののみは帰り道ずっとふくれっ面で少々なだめるのに苦労したが、瀬戸口の言う通り体力的に限界が近かったようで、食事を摂りながらうとうとしていた。
 舞はそろそろと布団から抜け出した。シャワーも浴びたし着替えもしたがまた学校に戻らないと明日のことがある。
 音をたてないように制服を着ていると、背後から声がした。
 「いってらっしゃい、まいちゃん」
 「ののみ?」
 「たかちゃんにね、ありがとうっていっておいて。おしごとがんばってって」
 「わかった、伝えておこう」
 振り返って。
 ののみはとてもいい子だ。この子と私が大切に思う人等を守護する力を私は備える。
 そうっと外に出てドアに鍵をかける。闇の色はどんよりと濃い。

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