※未完※
八月の末、自然休戦期明けも近いある招集日に、5121小隊の面々に辞令が下された。
休戦期明けの転属先の内示であり、これにより小隊のある者は最前線の熊本あるいは九州地域に残留、そしてある者は本州へとそれぞれ散ってゆくこととなった。
約二月とはいえそのほぼ毎日を死線で共に戦ってきた仲間達だ、育まれた友情はその月日に関係なく堅く、皆口々に再会を約束し、そして残されたわずかな休暇を利用して思い出の一つも作ろうと遊びに誘い合った。
そしてそれは芝村舞と速水厚志も例外ではなかった。
舞の掌が机を打つと、凄まじい音がした。
解散が言い渡され、皆が教室を出てゆくまで堪えていたのだ、ずいぶん自制できたと言えるかもしれない。
「舞、机が壊れるよ」
教室には彼女だけではなく速水厚志も残っていた。一番の問題は机のことなんかじゃないような気がするが、そんな叩き方をされた机に思わず同情したくなるような熱気と怒号が舞の掌には込められていた。
「机のことなぞ問題ではない!…なんだあの辞令は」
「栄転じゃない、おめでとう」
「…本気かそなた」
足音荒く近寄ると、舞は速水を睨みつけた。
そう、先程の内示は二人に二つの転属先を示した。即ち、速水厚志は熊本に残留してさる小隊に戦車兵として編入、そして芝村舞は関東の軍総司令部へと。
「私は戦車兵だ、戦車兵として教育を受け、戦車兵として前線で戦ってきた。それなのに何故後方でのうのうとせねばならぬ!?」
「のうのうって、司令部は司令部で色々大変な任務があるんじゃないのかな。行ってみないとわからないよ」
「…」
舞の瞳は激雷を抱えていた。
「そなたは平気なのか?そなたのパートナーがいなくなるのだぞ」
そなたのカダヤが、と言わないあたりはなんとも微妙だ。
「…平気なんかじゃないよ、でもこの内示ってほとんど決定だよね?先生だって転属先に連絡入れるようにって言ってたし」
「わかった、もう良い!」
もう一度、舞は叩き割るような勢いの平手を机に入れると、足早に教室から出ていった。
速水はふと、舞が八つ当たりした机を見た。
天板にはひびが入っていた。
舞は波打ち際に立ち、足を水に浸していた。
夏の終わりに近い海は水温が低く、泳いでいる人間は殆どいない。一応持ってきた水着は着替えずに終わってしまった。
熊本では最後のデートになるのだから、頑張ってみたのだ。ホルターネックの白いフレアワンピースと少し高い踵のあるサンダルと。駅で待ち合わせた速水は見るなり、驚いたような顔をしたがすぐに綺麗だと褒めてくれた。
朝から、その笑顔はもう当分見られなくなるのだと思うと少し切なかった。
渋々ながらも連絡を取った転属先には言われた。
『若くしてとても優秀だと聞いている。君のような人材がこちらでは必要なのだ芝村百翼長』
『私のような戦車兵上がりが役に立てることはないかと思うが』
通信を切った舞は、毒づいていた。
転属先の所属。人材が必要も何も、学兵にしては実績を上げた人間にとってはまるっきりの閑職だ。芝村が部外者から煙たがられているのは承知しているが、世間を見ろと戦車兵学校への入学を指示した一族がこのような実質的左遷に今回は沈黙しているのも不可解だ。
しかし来週の末には着任せねばならない。速水は来る道、近場なので顔を出してみたという自分の転属先のことを話して聞かせてくれた。その小隊には複座型がないので単座型に乗ることになりそうなことや、そして仲良くなれそうな人もいたこと。
「だから、舞もきっと大丈夫だよ」
と速水はぽややんと笑って言ったのだった。
それは勿論だ。例え場所が熊本から関東へ変わったとて、戦う相手が幻獣から策を弄する人間へ変わったとて、私は勝利を収めるだろう。そしてこの戦争を終結させるのだと、考えられるようになる程には頭は冷えていた。
しかし。
舞はちらりと、数歩先で波と戯れている速水に視線をやった。まくり上げたジーンズの裾が水に濡れるのも気にせず、少し深い場所へ足を進めている。
速水は舞の視線に気がつくと、笑って手招きした。
「こっちに来ないの?」
「いや、私は…濡れるではないか」
「そっか」
速水は舞の前に戻ってくると、背中を向けてしゃがみ込んだ。
「はい、おんぶしてあげる。これなら大丈夫でしょ」
「何?」
速水が立ち上がる様子を見せないので、舞はおずおずと速水の肩に手をかけ、背中に体重を預けた。視線が急に高くなる。
「ちゃんとつかまっててね」
言うなり、速水は再び波打ち際へ歩いていった。
「その、重くはないか」
「全然。僕って結構力持ちなんだよ。よく若宮さんとか来須さんと鉄アレイ上げてたから」
「そ、そうか」
速水の肩や腕の案外がっちりとした厚みに、舞はその一言で納得した。潮風を含んで重く湿気った彼の髪が鼻先をくすぐる。
膝まで水に浸かると、速水は立ち止まった。
「ねえ舞」
「何だ」
「また海に来ようね。来年でも、再来年でも。舞がこっちに来てくれてもいいし、僕が関東にでかけてもいいし…またデートしよう」
舞は速水の首に回す腕に少し力を込めた。
「厚志、今すぐは勿論無理だが、私は熊本に戻って来る。そしてそなたとまた一緒に」
まるで驚いたかのように、速水の呼吸がほんの一瞬止まる。
「…こんなこと言ったら怒るかもしれないけど、僕は舞が関東に行くことになって良かったと思ってる」
「何故」
「前線で戦うってことは命の危険があるってことだよね。これまで小隊の皆から戦死した人は出なかったけど、運が良かったんだと思う」
「我らは今まで我らの手の届く範囲の皆を守るために戦ってきたのだろう、戦死者が出なかったのは当然だ。それに忘れたか、私もそなたも戦車兵としては強いのだぞ。絢爛舞踏にこそ届かなかったが学兵でアルガナを獲得するなぞ希なことだ」
「そういうことじゃなくて。…皆のことを守る為に、舞が自分の命を危険に晒すのは…僕は…僕には」
その声は、波に吸い込まれてやけに頼りなく聞こえた。
「だから僕は強くなるから。舞が戦わなくてもよくなるように、絶対に」
「…そうか」
そなたも私も、不安もこれからの希望も一緒なのだな、例え住まう場所が離れたとしても。
舞は額を速水の首筋に寄せた。
ならば私は最善を尽くそう、そなたと共に。
速水の瞳に自分の顔が映っているのが見える。
「その、なんだ、こういう時くらい目は閉じんか」
「舞こそ」
確認なんてするまでもなくホームに誰もいないと判っているのだが、速水は素早く左右を見渡すと舞の顎に手を添えた。
「真っ赤だよ、顔」
「うるさい」
速水の胸を拳で叩く。と、シャツの胸ポケットからメモ帳が覗いた。取り出して速水が笑う。
「あ、そうだこれあげるね」
「それは?」
「関東に行ったら自炊でしょ。もうののみと一緒じゃないんだし、すぐに作れるレシピ書いておいたから」
舞はメモ帳をぱらぱらとめくった。几帳面な字で『簡単な魚の煮物』、『簡単なシチュー』、『簡単な厚焼き卵』…いちいち見出しに『簡単な』がついているのはどうかと思うけれど、彼らしいプレゼントではある。
「貰っておこう」
メモをぱたりと閉じて、バッグの中に突っ込む。
速水はぽややんと笑った。
9月になり自然休戦期が明けると、軍の首脳部は密かに立てていた計画を実行に移しはじめた。
つまり、一旦は放棄した鹿児島や福岡に熊本を足場として逆侵攻をかけるという。それまで九州放棄を検討していた首脳部がそのように大胆な手を打って出たのは、休戦期まで果敢に戦い続けた熊本の各小隊の働きにより、戦局が人類の有利に傾いたところが大きい。
そして、逆撃は始まった。
11月半ばにはその猛攻の甲斐あって福岡より幻獣の掃討を完了、そして九州地域で唯一幻獣の支配地域である鹿児島の奪還に向かって、軍は大きく動きつつあった。
舞は紙の束を順番に配りながら、会議室をゆっくりと一巡した。全員に行き渡ったかどうか、ぐるりと見渡して確認し、目礼をして会議室から退出する。
列席していたのは上級万翼長と準竜師と…つまり軍のお偉方。半分ほどは芝村かあるいは芝村に近い者で、身内のようなものだ。
そして次の自分の仕事は会議後に配布した資料を回収すること。関東へ来てからこちら、過ごす日々は毎日が資料の整理だの前線から送られてくる掃討の進捗状況の報告受理だの、事務官に任せてしまえと言いたくなるような仕事ばかりだったが何もそれだけではない。
例えば先程隣の席に座っている人間と小声で話し込んでいた高野上級万翼長は架空名で口座を持っていてそれは幻獣共生派の某とつながりがある。例えば先程眼鏡がずれるのを神経質に何度も何度も持ち上げていた河内準竜師はブレインハレルヤのバージョンアップ版、ブレインハレルヤ改をアンダーネットに流通させて少なからぬ金を稼いでいるようだ。
各々がどんなことをしようがそれはノータッチだが、何かのときにはそれが芝村の剣になるということは良く知っていた。
例えば今日のように重要事項を決定しようとするときに反対が出そうな場合、舌で説き伏せられる人間とそうでない人間がいる。後者に気持ちよく意見を変えて貰うための手管は何種類か持っていた方が得策というものだ。
一人になった控え室で、舞は余分に準備してあった資料を開いた。
来月の上旬に最後の幻獣支配地の鹿児島を取り戻すため、総力戦を開始する。
ただ福岡を陥落させたばかりで人類側もかなりの被害を受けたことと、そして福岡を復興させるのが先ではないかという意見もあり、開戦時期についての議論は激しい。実際、今日の議題もその決行日時についてだ。また最後の悪あがきとばかりに幻獣共生派の活動も活発になっており、人類も一枚岩とは言えない。
舞の指が紙の上を滑った。
参戦する小隊名。先の戦いで死者を多数出し統合の上に再編成となった小隊もあるのだが、どの小隊に誰が属しているのかはちゃんとわかる。
機体を2度交換しても最後まで果敢に戦い、北九州市の小倉東区解放の功労者とも言われる壬生屋。
手堅く撃墜数を上げ、アルガナに手が届くと噂のある滝川。
相変わらずのコンビで、戦場では鬼神二人と字をつけられているらしい若宮と来須。
そして、速水厚志。
彼らは自分の代わりに戦っているのだからと、従兄弟殿を通じてかつての同級生達には大なり小なりの便宜が図れるように気をかけてきた。しかし、今はそれがとてももどかしかった。熊本に舞い戻り、ウォードレスを纏って皆と共に戦場のただ中に、同じ空の下に身を置くことができたらどんなに良いか。
舞は軽く溜息をつくと、窓の外に目をやった。
日没も近い時刻なのに、会議はまだ長引くようだ。
身体が士魂号と、重なる。
視界は身長8mの巨人の高さと広さになり、ハンガーを見下ろす。
腕は1トンもの重さの太刀を易々と振り回せる剛腕に。
脚は大地を踏みしめ、幻獣を蹴り倒すことのできる鉄の脚に。
そして、
「はやみ…おい、速水」
ヘッドセットを外すと急に視界が元に戻り、慌てて速水は首を巡らせた。真上に人の顔がある。御供。この小隊で一番仲の良いパイロットで、面影にどことなく瀬戸口を思わせるところがある。
「悪い、チェック中だったか」
「…なんだ、御供か」
夢の途中で目覚めたときのように全身にじんわりと冷たい汗が浮かぶ。
「可愛い女の子じゃなくて残念だろうけど、悪い知らせだ」
「悪い知らせ?」
ヘッドレストの上に腕を組み、顎を乗せたままで御供は速水に紙を一枚差し出した。コピーにコピーを重ねたようで、文字が潰れかけているけれどちゃんと読むことはできる。
つまり、12月の15日に鹿児島奪回の為に開戦する。ついては各隊準備万端にして臨まれたしと。
「正式な書類が出るのは明日だけど、内容は同じだと」
「あと半月とちょっとしかないね」
「だから悪い知らせだって。こないだのでうちの士魂号なんて全部予備機に取り替えてるのに、こんな練度の低い機体で何をどうしろって言うんだか」
御供は指先で電子装備のパネルをはじいた。悪態の反面、面白がっているようだ。
「家に帰るな、整備しろ」
「そんなところだろうな。でもどんな機体でだってもう俺はここまで来たんだし、最後まで生き残っちゃうよ。生き残って、女の子とやって、結婚して、戦争の時にはあーだったこーだったって孫に繰り返して嫌われるじいさんになるさ」
「いいね、それ」
「速水だってそうだろ?」
御供は速水の髪をわしゃわしゃとかき回した。
この小隊は9月の再編成の際にそれまで実績を上げたスカウトや戦車兵を大量に編入させているいわばエリート部隊、悪く言えば斬り込み隊でその為か自分の強さについて誇りを高く持っている者が多く、ともするとお互いにライバル意識のようなものを抱きがちで御供とのようにくだけた関係になることがなかなか難しかった。とっくにアルガナを獲得し、福岡戦を経てそろそろ絢爛舞踏に届くかという身には特に。
「そうだね。この戦争が終わって、退役したらビルの清掃会社でも経営しようか」
「何だよそれ」
「前の部隊で一緒にいた人と約束があるんだ」
「ふーん」
かき回す手を止めると、御供はにやっと笑って速水の顔を覗き込んだ。
「で、まだ前の部隊で一緒だった彼女のことは話してくれないのかな、速水くんは」
「この前話したので全部だよ」
「ただの彼女だったら補給物資が優先的に届いたりしないって、事務官が言ってたぜ?」
そう、何かと連絡を取り合っている元5121小隊の面々は舞が色々手を回しているようだと言う。確かに5121にいた人間が所属しているところとそうでないところとは各種陳情に差がある「らしい」のだが準竜師はあの調子だし当の本人は関東へ行って以来連絡も取りずらいしで確認ができないままだ。別段忙しいわけではないらしいのだが、ただ前線に出ている元同級生達に引け目と、そしてかすかに焦りを感じているらしいのが何度かの電話でわかった。
連絡が途切れがちな反面、そうやって元同級生達に便宜をはかったりするのはいかにも舞らしいと思う反面、いつまで彼女が我慢をできるか、と思う。彼女は待ち続けるよりは自分で行動を起こす人間だ。夏に海で語ったように、関東で蟄居するのを良しとせず軍上層部に食い込んでいる彼女の一族に上申して再度熊本に戻って来ようとするのも時間の問題だろう、戦争が終わらなければ。
速水はぽややんと笑った。
「彼女は芝村だからね」
御供は一瞬、たじろいだ。
「…ってあの、今年の夏まで熊本に居たってお姫様のことか?」
「そう」
笑いつつ、速水は身構えた。この後の反応は良くわかっているのだ。
「俺はその娘のことはよく知らんけどさ、芝村とかなんとか、戦争が終わったらあんまりやいのやいの言われなくなるんだろうな」
「…え?」
「ま、明るい未来の為に生き残ろうぜ、とりあえず。その為には整備、その前にカロリー補給にでも出かけるか?」
肩をすくめて御供は踵を返した。シートから立ち上がり、ハンガーから歩み去る御供の背中を追いかけながら、速水は一人ごちた。
だから僕はこの戦争を終わらせるから。その為にこれからどの位の幻獣と対峙しなくちゃいけないのかわからないけど、きっと。
男が建物から出てきたところで、彼に近づく者がいた。
彼は見知らぬ二人に何事かを話しかけられたところで一瞬、逃げようと周囲を見渡す…が、無駄なことを悟ったようだ、おとなしく両脇を挟まれて待機していた車に共に乗り込む。首をうなだれて。
その光景を少々離れたビルの屋上から見下ろす人間が、また二人。
「裏切り者が」
舞の横に立つ人間は、何の感情も込めない抜き身のナイフのような声でぼそりと呟いた。
芝村だというだけでよく素性は知らないし、知ろうともしなかった。ただ舞にわかっていたのは、この男が芝村の中でも特に幻獣共生派の摘発を任されているという ことだけだ。そして男は最終決戦を前にして多忙を極めているということも。
「…少し尋ねても良いか、従兄弟殿」
車が視界から消えると、舞はふと口を開いた。
「言ってみるがいい」
「あんな小物を連行して何の益がある」
つまらない男だ。先代から弾薬を納入していた関係で軍部とパイプができており、仕入れた取るに足らない些細な情報を幻獣共生派に流していた程度の。
その行動を電子妖精を駆使した検索行でふと発見し、報告したのは自分ではある。そして「要監視」のリストに付け加えたのも自分。
しかしたった今眼下を連れ去られていった男の運命を思うと、なんとも後味の悪い思いがした。こんな風に自分が発端の摘発を見送るのは初めてではないが、 この思いにはこれからもずっと慣れることはないだろう。
「弾薬代金を二重帳簿で請求して、浮いた金が共生派の活動資金になっているのは知っていたか、そなたは。勿論手引きした人間も内部にいると」
「…あの準竜師だな」
「知っているではないか。そなたが派手に動いてくれたお陰で最近奴も浮き足立っている。ただ奴も準竜師だ、しかるべきところに招待するには物証を色々と 揃えてやらないと失礼だろう?」
「物証、か」
「そうとも。我々は礼儀正しい一族だからな」
良い冗談とも思えず、舞はほんの僅かに眉をひそめた。それを見て男は笑い、踵を返す。
「…」
「何?」
自分の耳をかすめた言葉に、舞は思わず聞き返した。が、男は既にドアを開け、階段を降りかけていた。
「早くせよ。あと二つ、廻る場所はあるのだぞ」
階下から大きく声が響いてくる。舞は慌てて駆け出した。
男は言ったのだ。『熊本の従姉妹殿も存外可愛らしいところがある、意外だな』と。
…まだまだ夜は明けそうにない。