ハイラル王家にはひそかに語り継がれる伝承がある。
極々稀、何百年かに一度、王家の女子にハイラルを創造した三柱の女神の紋章を手の甲に備えて産まれるものがあると。
そしてその紋章を備えた女子が産まれる時はまた憎むべき巨悪と、そしてその悪を打ち倒す定めの者が産まれる時でもあると。
いつの頃からか紋章を備えた女子には特に、ゼルダと名付けるのが決まりとなった。
けれどその名が王家ではありふれたものとなり、紋章も女神の寵愛の印と解釈が変わる位の長い長い時の間には伝説もただのおとぎ話と成り果てていたのだが、それはある日突然訪れた。
伝承ではその女子が産まれるのは波乱の時代の予兆であるがまた新しい時代の兆しでもあるという。
姫君の臨席を前に集った家臣達の歓談は続いていた。
まこと、昨年という年はとんでもない年だった。
突然城にあやしの者が押し入ったかと思うと城内は闇に閉ざされ、異形の怪物共が跋扈するおぞましい場所に変貌を遂げ、姫様は突然その姿を消してしまわれた。
しかし姫様は怪物共の手の内にあっても偉大な女神達に祈ること止まず、その祈りは届き、悪しき者は成敗されたのだ。
姫様が姿を消して以来酷く心を痛められていた陛下は姫様の無事を喜ばれたが心労が祟り、以来体調を崩しがちでそろそろ退位をなどと弱気なお言葉が出るようになった。本日も陛下はお体の様子が優れないとかで姫様が審議に臨席なさる。姫様も陛下の不調を押して気丈に振る舞っておいでだ。不遜ではあるかもしれないが来るべきその日、女神の寵愛を受け智に長けた姫様の即位に反対しようなどという者もあるまい、何せ姫様は陛下のたった一人の御子、後継者争いなど起こりようもないではないか…
とりとめのない話は扉が開き、話題の主が姿を見せたところでふつりと途切れた。
ゼルダは軽く微笑み、会釈をするとたった一つ空いた上座の椅子にかけた。
「…お待たせいたしました皆々様。では始めましょうか」
その凛とした声に場の空気が引き締まる。
主な懸案は二つあった。
昨年ハイラルで起こった異変と時を同じくして起きたゾーラの里水源からの一時的な水の供給停止やゴロンの里周辺で起きた活発な火山の活動のせいで作柄が著しく悪くなった土地がある、今年のそれらの地の処遇は如何に。
官吏を向かわせ現地を調査し住民に話をよく聞くように。状況に応じて税も軽減するように取り計らいなさい。
ハイラルから各地を結ぶ道々で落石により塞がれたものがいくつもあった、何者かが岩を爆破しとりあえずの間に合わせで道は開通したが雨により地が緩み再度の落石の懸念がある場所がある、早急な処置が必要だ。
衛兵の一部を割き現地へ遣わします。それと土や岩の扱いに長けた一族です、城下のゴロン達に協力を仰ぎなさい。その智恵と力を快く貸して貰う為にもゴロン族の長へ早馬を出しましょう。
それでは、と、審議は続いた。どのような者を派遣するのか、税の軽減があるとするならその率は、兵を割くならその規模は…
あらかたの案が出され、調整され、承認された頃には何刻かが過ぎていた。後はゼルダが閉会を宣言すれば本日の閣議は終了と、家臣達は揃って姫君を見つめた。
だがゼルダはそんな恒例と全くかけ離れたことを言い渡した。
「…実は皆様、本日は内々にお伝えしたいことと紹介したい方があります」
家臣達は姫君は一体何を言い出したのかと顔を見合わせあった。
「東方のゲルド砂漠に古代の遺跡があることは皆様もご存知かと思います。力ある遺物を護る場所であることは文献に記されていましたが遺跡に宿る古き御霊は安息を破られることを嫌う為調査が進まなかったのですが…先程私の目となり耳となる方々がとうとう遺跡を踏破致しました」
ゼルダが「よりよくハイラルを知る為」幼少の頃教育係であった男を通じて城下に何名かの人間を直接召し抱え、それらに定期的に各地の様子を報告させていることは家臣達の間でも知られていた。ただしそれは姫君の変わった娯楽としか受け取られていなかったのだが。
「…遺跡に祀られていたのは陰りの鏡という神器です。そしてその鏡はこの世界ともう一つの世界を結ぶ鍵でもあります」
彼らの疑問は心中を越えて口に遡り、最早ここがどういう場であるのかをも弁えずゼルダをさしおいて囁きあった。
それに構わずゼルダは続けた。
「もう一つの世界とは古にハイラルを追われた魔術師の末裔が住む影の世界、そして私が紹介したいのは」
何かに合図するかのようにゼルダは僅か、頷いた。
そこで初めて家臣達は知らぬうち閣議の間に何者かが入ってきていたのに気がつき、それが黒衣を纏う長身の女であることに気がついた。
音もなく女はゼルダの傍らに歩み寄り、目深に被っていた外套のフードを除けると家臣達を見渡した。
「影の国の王が長子のミドナだ。未だ喪中故即位は先だが実質私が影の国の全権を取り仕切っている。今日はゼルダ姫にお招きいただいた」
足元に大きな狼を従えた、黄昏色の長い髪に赤い瞳、青い肌の異形だがしかし麗しいかんばせの女の澄んだ声に家臣達はどよめいた。