your heart my heart・その3

 こういうことは全般にイザンの中で駄目なことなのかと思ってたから、話題に出したのはちょっとしたお試しみたいな感じだった。
 「ねえイザンくんってひょっとして誕生日は来月位?」
 それを見かけたのは学園で用事でたまたま二年生の階を訪れた時だ。
丁度中間考査が終わった時期だから壁には考査の成績が掲示されていた。自分のはこの中にはないからという気楽さで知っている名前を探すと彼の名はカタカナ混じりだからすぐ見つかった。どの教科も学年の真中位の成績で、こういうのは却って器用と言えるのかもしれない。
 彼とそのことを話す機会があったのは次の日。
 イザンとの時間が重なってわかったことの一つに、彼は彼自身のごくごく基本的な情報―出身地がどこでとか、家族はどんな人がいてとか―を話すのが苦手というか嫌なんだろうなということがある。嫌と言ってもあからさまに声高に嫌というのではなくてその周辺の話題を出すと見えない空気の壁みたいなのを作って話の流れを上手く変えてしまう。でもそういうことを聞いたからといってこちらがうざったい人間認定される訳でもないようだしそれ以外の大概のことでは普通に答えてくれる。彼が学園に戻った当初は話し出す瞬間が重い時期もあったけどそれも季節の移り変わりで服が軽くなるように徐々に元の調子に戻っていった。
 学園には肉親との縁のようなものから避難する為に入寮している生徒も結構いるという話は聞いていた。それなら多分イザンもというのが自分の中でぴったりしないながらも出した結論で、あまり期待はせずに何気に話を振ってみた。
 「…は?」
 というのが彼の反応だった。
 うっかりしてて貸し出し期限ぎりぎりの本を返却しに寄った学園の図書室。ここはどちらかといえば自習室的な趣で堅い感じの本ばかりでエンタメ寄りの本はあまり置いてない。つまり勉強に集中するにはもってこいの環境だからというわけでもないのだろうけど考査が終わった後は机にノートなり本なりを広げている生徒の数は多くはなく、静かな場所だった。
 トーンが高いと思ったのかすぐにイザンは声を小さくした。怪訝な表情になる。
 「晶乃に教えたことあったっけ?」
 やっぱりこういう話はエラーだったかな。言い訳。
 「ううん昨日二年生の階に行ったら中間考査の成績表が貼ってあったから。クラスの出席番号は誕生日の順だしイザンくんの番号ってクラスの半分位だったからそうなのかなって」
 「名推理って奴?そういうとこからだだ漏れってセキュリティ的にどうなんだか」
 意外だったのは次の言葉だった。
 「その推理に免じて個人情報大公開。ボクの誕生日は六月九日だけどそれでいい?」
 軽く肩を竦める。よかった駄目カテゴリーの話じゃないみたいだちょっと嬉しい。
 「うん別にどこかにイザンくんの誕生日売ったりするつもりはないから安心して。誕生日って寮で何かしてくれたりする?」
 「寮生が何人いると思ってんの?そんなことしてたらほぼ一年365日祝ってることになって収集つかなくなるだろ。そういうことしたい奴はコンビニでケーキ買ったり仲間でつるんで何かしてるみたいだけど。誕生日なんて区切りの数字が増えるだけなのに何がめでたいのかボクにはわかんないけどね」
 例の嫌、って感じじゃなくて歯切れが悪い。ええとこれは否定じゃなくて。それならと昨日掲示を見た時ふっと思いついたことを口に出す。
 「そっか、じゃあ九日は私の家にご飯食べに来ない?ケーキを焼くのは難しいかもしれないけどイザンくんの食べたいものがあれば作るし気分だけでもお祝いできればいいかなって。ほら最近あんまりイザンくんにこっち来てもらう機会もないから」
 イザンとの時間が重なってわかったことの一つに、強く押すと案外拒否されないというのもある。確かに彼の中で駄目なことは駄目なんだろうけどそれ以外でこちらに希望がある場合は少し強引なくらいで丁度いいみたい。

 大げさなのはやめてよねって言われちゃったので普段っぽく大皿のまだチーズがふつふつとしているシーフードグラタンに等分に切ったバケット、ガラスの器に盛った冷たいトマトのスープに三原色を考えてみましたミモザサラダ。
 それらを目の前にして出てきた兄の言葉は簡単に、でも作った人間にとっては最上級のものだったけど
 「美味しそうだね」
というものだった。
 そして自分とのイザンの顔を見比べる―少し前、彼はバイト帰りの自分を家まで送り届けてくれていたことがあって、そのついでに夕飯を食べてゆくことも何度もあった。でもそれも途絶えてしまっていたから訝しく思ってるのはよくわかる。
 その疑問に構わず引っかけていたエプロンを外すと彼は兄の背を背を椅子に向かって軽く押した。
 「でしょ?総一郎が帰って来る位のいい時間を見計らってオーブンに突っ込んだんだから。もう遠慮なんかしないでどんどん食べてよね」
 同じくエプロンを外すと自分も兄の持っていたノートパソコンのキャリーバッグを取り上げて床に置く。
 「今日はデザートもあるから楽しみにしてて。あ、話してたらグラタン冷めちゃう。食べながらにしない?」
 兄が頷いて椅子を引き、次いで椅子にかけた皆で取り分けの皿とフォークとスプーンを渡し合うといただきます、の挨拶が揃う。
 バケットをちぎると兄は口に運ぶより先に疑問を発した。
 「ところで今日って何かイベントのある日だったっけ?」
 …
 …
 …
 「…というわけ」
 兄が質問してイザンがそれにあまり素直とは言えない返事を返してその合間に自分も喋って、冷蔵庫からチョコのムースを出す頃にはかなり端折ったけど大方の説明は終わった。
 「そういえばイザン、君は前にスタッフに祝って貰った時もあんまり嬉しそうじゃなかったよね。ケーキにローソクとかカードとかプレゼントとかそういうの子供っぽくて嫌だって」
ムースにスプーンを入れると兄が何かを思い出した風に言う。随分と珍しいイザンの昔話だ。
 「だってそうでしょ?それに仕事で僕に接してる人間が仕事の一環でする誕生祝だったしそんなの嬉しがる方が変だってば」
 対してイザンは…拗ねてるんじゃなくて怒ってるのでもなくて。
 「そうか君の中で親密度高い人間に祝ってもらったら嬉しいって言うなら今日は僕と晶乃でハッピーバースデーを歌ってあげたらいいのかな」
 「いらないっ」
 ぼっと彼の頬が赤くなった。そうかこれは多分「気恥ずかしい」。
 …何だか色々こみ上げてくる。秘密を抱えていて会社でものものしい仕事を担当をしている、そんな人なのに自分の誕生日を祝ってもらうことをこんなに恥ずかしがるそのイザンの心のありかた、っていうかギャップが。
 「はっぴーばーすでーでぃあーいーざんー♪」
 「何なのその死んだ声!?ちょっと晶乃まで何笑ってんのっ」

 以前そうしていたように、イザンは今日も自分の使った食器位自分で洗うからねとシンク前に立った。こういう日位のんびりしててくれて構わないのに。
 「ご飯作るのも手伝ってくれたし誕生日っぽくなくならなくて悪かったみたい」
 というのが素直な感想だった。
 「ボクがそういうの苦手なんだから別にいいの。それに総一郎の下手な歌で祝って貰ったし気分だけは出たよ気分は。晶乃のところは誕生日ってだけでいつもこんなことしてるの?」
 兄も今日は君はお客様でしょってイザンに代わろうとしたけどこういう時だけ遣い慣れない気を遣ったりしないで論文でも書いてればいいじゃないって部屋に追い払われてしまっていた。こちらとしては手伝ってくれるのが兄でもイザンでも二人ですると片付けるのがはかどるのは事実だ。
 「…ん、私もお兄ちゃんも誕生日は秋だからこの家に引っ越して来てからはまだなんだけど」
イザンの話も聞いたし自分の話をしてもいいかな。彼から受け取った洗い終わりのフォークやスプーンを布巾で拭ってカトラリー入れにしまってゆく。
 「私のお母さんが家族の誕生日とか記念日とかを大事にする人だったから。お父さんとお母さんの死んだ後に行った伯母さんの家もお母さんと姉妹だから似たような感じでね、家族の産まれた大事な日だからって毎年欠かさず。お兄ちゃんはあんまりこだわりはないみたいだけどでもアメリカに行ってたときは私の誕生日にはカードとかメールが来てたよ。私もお兄ちゃんの誕生日には贈るようにしてたし。だからね」
 だから自分にとっては誕生日って特別で嬉しい日。自分のでも家族のでも。イザンが恥ずかしがる理由はよくわからないけどでもいい思い出っていうのになってくれたらそれでいい。
 「…そう。晶乃、これは?」
 「えっと?」
 あ、いけない。イザンが持ってる皿を受け取ろうとして慌てて右手を伸ばすとその先は空。見るとイザンも何も持ってない。
 するりと彼の両腕が自分の腰に絡んだ。
 「ふふ、騙された。駄目だよ気を抜いてたら」
 「…え」
 「言いたいことは沢山あるけどね、まず今日はありがとうって言っておいたらいい?」
 腕と手が背と首筋に動き、顔が近づいて。
 イザンとの時間が重なってわかったことがもう一つ。
 油断大敵。

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