肯くんチカちゃん・その3

 津川というのは今時珍しく地元の商店街が生き残っている町だ。原因は大資本によるメガストアが気軽に行ける距離になかったり、住民にこの町を買い上げた製薬会社の研究員の家族やその会社が創立した学園の高校生といった若い人間が多かったりするせいであるのだけれど、商店街にもそういう年齢向けの小洒落た店が多かったりする。
 その日も久し振りで商店街に足を伸ばした杉田宗親と高柳肯は、休暇前は空き店舗になっていた商店街のとある一角がすっかり改装し終えて新しい店が入っているのを発見した。
 ぱっと見飲食系。カフェだフレンチだイタリアンだは素の高校生には敷居が高いけどそういうのとは様子が違う。
 「イートインができるベーカリーなのかな」
 高柳は呟いた。アーケードに面した幅広のガラス窓からは店内に置かれた白い丸テーブルと椅子とが見え、その奥には木製の陳列棚とトレイの上に並べられたパン。夕方という時間帯的に数は多くなかったけれど元々の種類は豊富そうだ。
 「はーい提案、夕飯はパン希望ー。今後の為に新規開拓」
 宗親はわざとらしく手を上げると言った。寮で食事が出して貰えるのは明日の朝からなのでどっちにしろ何かは仕入れて帰らないといけない。とはいえ帰省して充実した食生活を送った後でいきなりコンビニ系は精神的味覚的に辛い。
 頷きあうと、宗親がどっしりした木のドアを引いた。
 「いらっしゃいませー」
 ふわりとパンのいい匂いが鼻先に漂ったかと思うと感じのいい、聞き慣れた声がドアベルの音と一緒に響いて二人は目をみはった。
 「「…朝倉?」」
 「あ、杉田に高柳!久し振り」
 どうやら店の制服らしい黄色いラインの入った濃緑色のキャップにエプロン、ピンク色のシャツといったいでたちの朝倉晶乃は、陶器のカップを満載した籠を手に振り返った。
 「どうしたの姉さん、バイト?」
 見慣れない制服姿の晶乃を新鮮に思いながらも宗親は素朴に尋ねた。
 「うん、それがね」
 「ああそれはボクが朝倉先輩をお誘いしたんですよー」
 音もなく三人の後ろに立ち、晶乃の持つ籠を受け取ったのは晶乃と揃いの格好をした後輩だった。
 「北川くんが?そうなの?」
 その顔に、高柳はまだ古びない諸々の記憶を掘り起こした。直接の縁はないけれど最近宗親の弟の正剛とも親しいらしいこの後輩とは何かと会う機会がある。
 「そうなんですよ高柳先輩、ボクって実は勤労学生なんです。前のバイト先がぽしゃっちゃって何かいいとこないかなって探してたんですけど丁度良くこのベーカリーが開店したものですから」
 「へー、それで朝倉とも仲いいって羨ましいなー?」
 宗親は笑うと、北川の背をちょっと荒っぽくどやしつけた。それにまんざらでもなさそうな北川。
 「いいでしょう宗親先輩。この店も結構評判いいんですよ。お買い上げのお客様にはインスタントじゃないコーヒーをサービスしてますんでいかがですか」
 「じゃあお勧めって何よ?」
 「ええとですね食パン系だと一番はバターブレッドなんですが惣菜系だと」
 「そういえば正剛くんは?一緒に帰ってきたんじゃないの?」
 「水道の配管の工事をするとかで部屋を替わるようにって言われて今荷物を片付けてる。だから正剛くんの分も買って帰らないとなんだけど」
 「えー大変」
 …
 …
 …
 ハモるありがとうございましたーという声に送られてアーケードを帰り道に向かい歩き出してしばし、口火を切ったのは宗親だった。
 「肯、今日は反省会」
 「反省会って何?」
 「俺らがぼんやりしてる間に思わぬ伏兵がトンビで唐揚をさらって行ったな、と」
 「ら、って僕も含むの?それに唐揚じゃなくて油揚げ」
 急に重くなったような気がするパンが入った袋を持ち直すと高柳は冷静に訂正した。
 「どっちでもいっか、そんじゃ俺ジュースで今晩は孤独に飲み明かすし」
 宗親の語尾に吐息とも嘆声ともつかないものが混ざる。
 「…そういうことなら僕もつきあうよ」
 「え、そうなん?」
 なんとなく顔を見合わせて、互いに凄く間抜け面をしてるのに苦笑いして。
 日が落ちはじめたバスターミナルへの道は寒いのに温い。

※高柳が案外盛り上がりそう<反省会 それとベーカリーはきっと対面販売もしてる※

0