恋に落ちてく10のお題・縮めた距離

 

 時々、忘れそうになるんだ。私とリンクはお互い相容れない世界の人間同士だって。過ぎたことを考えるもんじゃないって。

 リンクは髪をかき上げて両手を首の後ろに回した。
 細い革紐に下がる馬蹄の形をした陶器の笛を、緑色の上衣と鎖帷子の間に無造作に押し込むとその上から軽くぽんと叩く。
 これまでずっと黙ってたし、黙ってるつもりだった。それが一番だってわかってたのに口を突いて言葉が出てくるのを止められない。
 「リンク?」
 「ん?」
 「良かったな、あの娘が治って」
 …なんとか普通に喋れた、と思う。
 リンクは笑って頷く。
 「あのままじゃ寂しいし、それに村長にも申し訳が立たないしね。時間はかかったけど本当に良かったよ」
 主人がやってきたのを察して低く嘶く馬に歩み寄ると、リンクはそいつの長い鼻面を優しく撫でた。そういえば笛は馬を呼ぶ為のものだって言ってたっけな。
 そして忘れられた里へ向かう道すがら、リンクは色々話してくれた。
 森に守られた村。魚の棲む清い川。山羊を飼いカボチャを育てる穏やかな毎日。村ではどんなに子供を可愛がりまた厳しくして育てるか。そしてリンクとあの娘がどんな風に育ったか。
 そうだよわかってた筈じゃないか。
 目の端から流れた涙が呼び水になって、顔をくしゃくしゃにして泣き出しそうになったのをぐっと堪えたあの娘と、それを隠すようにあの娘の背に両腕を回したリンクと。
 私が泥足を踏み入れていい訳がないだろ?
 馬上で揺れる影の中に収まりながらリンクの昔話に耳を傾けていると、その声がとても遠いところから響いてくるようだった。

 ここにやってきてから私がリンクに話しかけることが少なくなったのはそういうことばかりが理由じゃなかった。
 どういう理屈で浮いてるのか私にもさっぱりなこの都はあの馬鹿でかい大砲でないと届かない位の高い空にある。元々こんな場所、生き物が棲むのにはおよそ適さなかっただろうけど天空人達はそれをなんとかしたんだろうな。
 けれど完璧に地上と同じような世界を作りあげるのは無理だったみたいで、空気が地上よりも大分薄い。そして高い場所特有の冷たい風が横から吹きつけてくる。
 影の中だって外のそういう悪条件とは無関係じゃなく、そしてこんなところでも平然とのさばる魔物らを斬り伏せるリンクは私以上に消耗して、自然と口数は減ることになった。
 「…一つ不思議なんだけど」
 あのおばちゃんとやらと違って言葉も通じない、どっちかと言えば人より鳥に近い-でもその胸から上って人のものだよな-天空人を片手でひっ掴むとリンクは言った。
 「何が?」
 「僕もミドナもしんどいのにこの人達ってこんな場所でどうして平気でいるんだろうね?」
 リンクの腕の中で天空人が羽をばたつかせて暴れる。
 ごめんなさいと謝るとリンクはそいつを頭の上に掲げ、宙に身を躍らせた。
 「そりゃ適応ってのだ」
 「適…応?」
 わずかな時間、天空人が羽ばたくのを使って滑空しては壁のあちこちに出っ張った足場を踏み、それを繰り返しては下へ下へと降りてゆく。
 「急に暗い場所に入って目が見えなくなったと思ってもちょっとの時間があれば慣れて見えるようになるだろ?それと同じでこいつらはこういう薄い空気で暮らせるような体になったんだよ…一日とか二日とかじゃなくて多分何百年かかけて」
 そうだ私はそういう人間のことをよく知ってる。背中合わせの世界から全く省みられることのなかった世界の人間のことを。

 そいつには思わぬ苦戦をさせられることになった。
 背中に蝙蝠の羽を生やし生意気にも剣と盾を構えた蜥蜴人間はリンクが向かってゆくとその身をひらりひらりとかわしては壁の穴から飛んで出て行き、戻ってきてはリンクの足が間に合うか間に合わないかという距離になると飛び去ってゆく。
 戦う意志が無い訳じゃない、馬鹿にされてるのでもない。
 それに気がついた時私は嫌な気分になった。力押ししか能のない魔物とあいつは違う。
 「リンク…あいつはお前を疲れさそうとしてるんだ。長引けば長引く程あいつの方が有利になるって分かってあんなことやってる。やみくもに突っ込んだらいけない」
 「…ああ」
 短く答えるリンクの息はすっかり荒くて肩が上下している。
 「…頭を使えってこと?ここの空気ってそういうのに向いてない気がするけど」
 「何言ってんだよ。こういう空気だからこそ無駄な動きはするなってことだ」
 それでも軽口とは裏腹に、リンクは壁の穴の向こうの空に浮かぶ影を認めると身構えた。
 蜥蜴人間は降り立つと、盾を構えながらこちらの方を見てはその大きく裂けた口を歪めた。…笑ってるのか。
 けれどその挑発に乗ることなくリンクも盾を構えた。そして手を…背に負った剣ではなく腰に…クローショットが下がる腰に。
 そうだクローショットだ!
 クローショットの爪が蜥蜴人間の構える盾をがっきと噛んだ。
 元々爪がちゃんと噛みさえすればリンクを一人支えられる位に強力なクローショットの鎖は盾もろとも蜥蜴人間を引き寄せ、リンクとそいつはそのまま組み合った。
 リンクは突き出される剣を横っ飛びにかわし、そして的確な突きを入れる。
 普段のリンクならそのまま斬り伏せることができた筈だ。でもリンクはこれまでの鬼ごっこで余計な体力を使い過ぎた。もう一撃、あと一撃がどうにも綺麗に入らない。
 それを悟られたのかもしれない、蜥蜴人間は悪あがきの凄まじさで剣を繰り出す。それに完全に押され、リンクは剣で剣を受けるのでなく体捌きで剣を避けた。
 けれど最後の瞬間は意外にあっけなく訪れた。
 不意に、ごくごく小さな、剣戟の響きとは全く違う澄んだぴぃんという音がしてほんの一瞬にも満たない間蜥蜴人間の気が逸れた。
 もちろんリンクはそれを見逃したりしない。

 蜥蜴人間は黒い塵と化して風に巻かれていった。
 私は影から出るとリンクに声をかけた。
 「…おい、大丈夫か?」
 肩で息をするリンクは頷く。
 「…さっきの…音は?」
 「これだ」
 何が起こったかはリンクから弾き飛ばされた影の姿で分かってた。
 私はリンクの手を取るとそれを握らせた。
 あの娘がリンクに渡した笛。蜥蜴人間と組み合ううちに懐から飛び出し、ついで紐が解けてしまって床に落ちてあんな音がしたんだ。幸い割れも欠けもしてない。
 「大事なものなんだろ?」
 「…」
 リンクは掌の上のものを見つめた。
 「大事に扱えよ紐なんて二重三重にしとけ無くしたらあの娘に叱られるんだろ!?」
 「…」
 荒い息のままリンクは笑った。
 笛じゃなくて私を見て。
 「…何だか…まだ凄い息苦しいんだけど嬉しいって…変かな」
 「…変だよ。…変だリンクは」
 リンクのその顔を見てたらここのところ私の中でずっとわだかまってたものがだらしがなく溶けてくような気がしてさ。
 …なあリンク、私は一体どうしたらいい?

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