大昔の

 家の中を探索してみようかなという気分になったのは成り行きでこの家に腰を落ち着けてから一週間ほど経ってからだった。
 家の主の老博士はこのおうちはあなたのおうちだと思っていいのよと言ってくれたけどいきなりあつかましいことをする気分にはなれず、ここを使ってねとあてがわれた部屋のベッドで枕に顔を伏せる日が続いていたのだけどその日は素敵に晴れた日で窓から入ってくる暖かな日差しや澄んだ匂いのする風がちょっと気持ちを他のことに向かせてくれたのかもしれない。
 博士は在宅での研究に切り替えた人だったけどその日はたまたま何かの用事で留守だった。だから、元からとがめられる可能性もないけれど気ままに家のあちこちを巡ってゆくことにした。博士の感じが良い趣味を調度の端々に感じられるリビング、キッチン。膨大な、何のことが書いてあるのか自分には見当もつかない蔵書が収めてある図書室。そこまではこれまでの時間でも訪れたことのある場所だったけど、本当に知らない場所に紛れ込んだという感じがしたのは二棟が廊下で続いている家のもう一棟、博士が研究に使っていると聞いた場所を訪れたときだった。
 人が住んだりするところとは「違う」場所なんだって見ただけでわかる。複数のPCと、コンクリで打たれた冷たい感じのする床やそこを這う大蛇みたいな束ねられたケーブル、整理されているけど膨大な量のこれまた自分には何に使うのか見当もつかない電子部品が収められているラック。日光を防ぎたいのか窓の一つもない。
 場所が「違う」ように自分もここにいるのは「違う」人間なんだと、そう悟って、でも最後にこの部屋だけ覗いていこうとその隣の部屋のドアノブに手をかけたのはちょっとした気まぐれだった。
 その部屋は隣の部屋より更におかしな部屋だった。隣の部屋より大分広いのに床にあるのは何かの台座とそれに接続されてるケーブルと一台の小型PCだけ。台座は電源が入ってるのか何かの作動音っぽいものを立て続けていたけどだからといって動きがあるのではなく。
 ここも早々出たほうがいい部屋みたい。そう思って踵を返しかけると、不意に、台座上の空間が奇妙な音を立てて揺らいだ。台座の上にしゅうっとドットが集って形作ったのはどうにも非現実的な、桜色の髪をした男の人の姿だった。
 「…なんだ、博士は留守なのか」
 男の人は独り言のように呟いた。それから初めて気がついた、とでもいう風にこちらを見ると、尋ねられた。
 「ああ博士から聞いたな。お前か、博士が引き取った子供というのは」
 …その何気ない一言で。
 両親がほんの一月前、研究所の爆発事故で亡くなったとか、祖父母は自分の引取りを拒否したらしいとか、色々大揉めの末にこの家の老博士が自分を養女にと手を挙げたとか、沢山のことがぐるぐるぐるぐると思い出されてきて。この家に来てからは涙の一つも流したことはなかったのだけどその一言がどうしようもなく釘のように刺さって。
 急に涙がどっと溢れてくるのが止まらなくなった。だから、台座がもう一度、奇妙な音を立てるのにも構わなかった。
 …あらお戻りが遅いと思って来てみたら。何をしましたの、お兄様
 …し、知らん。勝手に泣き出した
 困りましたわね。…ええと。ねえみのる、こちらを向いて
 名前を呼ばれて顔を上げると、桜色の髪の男の人の横にはライトグリーンの長い髪をした女の人が腕を広げて立っていた。

 数時間後、帰宅したカシオペア博士は研究所の一室から楽しそうな三人の笑い声を聞くことにる。

※大---------昔、人様に差し上げたSSがこんなんだったような。(今的に書き直してはいますが)差し上げた方はもう覚えてないだろうなあ。しかしこれがあらゆる意味で今に繋がってると思うと業が深い※

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