ドラクエ8・その2

 コルセットの背中の紐をぎゅうと締めつけられると、少女は悲鳴のような声をあげた。
 「…いくらなんでもきつ過ぎない?」
 「何言ってらっしゃるんですかもう少しきつくてもいい位ですよ?」
 「だってこんなのじゃ何にも飲んだり食べたりできないじゃない」
 少女の抗議をはいはいと無視すると着替えは手早く行われた。少し胸元が広く開いた古風な白いドレス。普段はくくられている髪を下ろしていかにもって感じにととのえて。
 「奥様、こちらでよろしいか見ていただけませんか?」
 声をかけられるとドアが開いて女性が入ってきた。少女を上から下まで検分するようにじっと見つめて。
 「髪、まとめない方がいいかしらね?その方がドレスに映えるわきっと」
 それでは、と髪にささっていたピンが抜かれて梳られる。少し波打ってふわりと広がる赤い髪。
 「…ああ素敵じゃないの。サーベルト、入ってらっしゃいな」
 次にドアを開けたのは少女と似た顔をした青年だった。少女を見てにっこり笑う。
 「うん、おてんば娘がよく化けたね」
 「兄さん!」
 「冗談だよゼシカ、綺麗だって」
 青年は悪気はないんだよという風におどけてみせた。いつものことなので少女のふくれっ面もすぐに元通りだ。
 「サーベルト、私はこれから供物の準備をしないとなの。ゼシカを連れて行ってあげてね」
 「はいはい承知しております」
 「ミリア、服と髪はこれでいいからあとはお化粧してあげて」
 「はい奥様」
 母が出て行ってしまうと、サーベルトはゼシカ後ろの椅子にかけた。小間使いの娘が化粧道具を広げて妹におしろいやら頬紅やらを施すのを鏡越しににこにこと見守っている。
 「私お化粧って嫌い。顔がべたべたするんだもん」
 「何言ってるんだよ女の子が綺麗にしてるのはいいことだぞ?…えーとミリア、口紅は左のにしてやって」
 「はい」
 「大体どうして兄さんが見学してるの」
 「見てると楽しいから」
 仲の良い兄妹だった。リーザス村とポルトリンク一帯を治めるアルバート家のご子息ご令嬢。子息は凛とした賢しい青年サーベルト、令嬢はおてんばの気はあるものの気さくで可愛らしい少女ゼシカ。そして夫亡き後二人をここまで育てた母アローザは立派な女性だとの評判で、この幸せを脅かすものなど何もないと思われた。少なくともこの時は。

 毎年秋になるとリーザスの塔では祭が執り行われる。その昔ははるか遠方の地よりアルバート家に嫁ぎ、様々な善行を施しささやかな奇跡を起こしたリーザスをたたえる祭だったらしいが今となってはどちらかというと収穫祭の意味合が強い。塔の最上階のリーザス像の前で一年の息災と実りとを感謝し、そして次の一年の無事を祈る。この役目は代々アルバート家の未婚の女子か、相応しい者がいなければアルバート家にゆかりの女子が務める決まりになっていた。そして今年からその役目はゼシカが負うことになったのだ。
 色とりどりの花に囲まれたリーザス像の前で朗々と述べる。
 「…私たちにまた豊穣を与えてくださったこと、そして皆に大事なく過ごせたことを感謝いたします。明日からのまた一年にもご加護をお願いします」
 生前リーザスが一番愛したとかいう清楚な白い花を捧げると像を取り囲む人々から歓声が巻き起こった。ゼシカは手を振ってそれに応える。
 人垣がばらけて次々に散っていった。この後は場所を村に移して一晩騒ぎ明かすのだ。
 最後にゼシカは一人取り残された。勿論村に帰らないつもりはないのだが。
 我慢できずにそろり、と、一歩足を踏み出したとたん、ゼシカは派手に転んだ。
 「…いったーい!」
 その大声に呼ばれたかのようにサーベルトが回廊に姿を現した。
 「ゼシカごめん、遅くなった」
 「遅すぎよ!こーんな踵の高い靴じゃ歩けないんだから!」
 慌てて妹に駆け寄って助け起こし、乱れたドレスの裾を直す。その手にはきっちり柔らかい革のサンダルが握られていた。
 「ごめんな家にちょっとお客が来てたんだよ。ポルトリンクから新しい船便を出したいって商船主がね」
 「そんなの早く切り上げればよかったじゃない」
 「そうも言ってられないの。…おっと擦り剥いたか?はいホイミホイミ」
 サーベルトがゼシカの赤い肘に手を当てると、次の瞬間傷は跡形もなく消えた。
 「…それじゃ兄さんは全然見てなかったの?」
 兄が用意した馬に揺られて、ゼシカはまたまた頬を膨らませる。
 「そうでもないよ皆して像に飾りつけをしてる位までは居たんだけど」
 「それじゃ全然じゃない、やっぱり」
 面白くなくて、ゼシカは手綱を持つ兄のわき腹をごにょごにょとくすぐった。笑い声は草原に吸い込まれて消えてゆく。
 「そうそうポルトリンクの友達がお前のことかわいい妹だとかなんとか言ってたぞ」
 ひとしきり笑うと兄は妹の方を振り返った。
 「てきとーにおつきあいとかしてみる気はない?」
 「んー、兄さんの友達でしょ、やめとく」
 「そう言うと思ったから断っておいたけどな。上っ面はいいかもしれないけど中身はとんでもないから止めておけって」
 「何よそれ!」
 ゼシカは兄の背中を思い切り叩いた。村はもうすぐだ。

 リーザス村は既に結構なにぎわいだった。何でも近年はわざわざポルトリンク辺りからやってくる者もいるとかで、瞬間的に村の人間が倍の倍に膨れ上がるのだ。
 家畜が屠られ供される。新しく仕込まれたワインが樽ごと並ぶ。数は多くないが商人が臨時の店を広げる。流れの楽師が弦を弾く。着飾った男女は笑いさんざめいてステップを踏んで。
 そんな中サーベルトはゼシカの手を引っ張って歩いた。将来のアルバート家の主として顔を売っておくという意味もあるが妹を自慢してみたいらしい。そして出会う皆がお飾りながら大役を果たした妹を誉めそやすものだから、兄の笑顔も絶えることはなかった。
 そして日も暮れる頃、ゼシカはとうとう降参した。
 「あのね兄さん、私朝から何も食べてないんだけど」
 「そうだっったか?」
 「そうだったの。このドレスもきっついし。家に帰っていい?」
 「それなら俺も一回家に戻ろうか」
 二人揃って家の方角に踵を返すと、声をかけられた。
 「…サーベルト?」
 そこには兄と同い年くらいの女性が立っていた。艶のある黒髪を腰の辺りで揃えて、仕立てのよい明るい色の服を着込んでいる。ゼシカはその顔に見覚えがあった。ポルトリンクのなんとかいう家の人だ。
 「…ああソーニャ、来てたのか。紹介しようこいつは妹のゼシカ。ゼシカ、この人はストックウィン家の娘さんだ」
 ゼシカは軽く頭を下げた。何とか無難に可愛らしく挨拶ができたと思った。
 「いつからこっちに?」
 「今さっきよ。お父様にやっと許してもらってね」
 ゼシカは察した。つまりこれは邪魔をしてはいけないというやつだと。
 兄とソーニャが話に熱中しだしたので、ゼシカは姿を消すことにした。日が落ちたのでそろそろ冷えることだし。

 祭の翌日はいつもけだるい。使用人たちは遊び疲れでだらだらしているので朝が遅いし、一月も前から祭の準備に心を砕いていた母は母で昼過ぎまで起きてこない。
 そしてそれはゼシカも例外ではなかった。とはいえ今年も彼女をダンスに誘う勇気ある男の子は一人もおらず、ずっと女の子の友達とつるんで遊んでいたのだが。
 目は覚めたが起き上がる気にならず、ベッドにはりついているとノックの音がした。
 「ゼシカ、ゼーシカ」
 笑いながら入ってきたのは兄だった。遠慮全く無しにベッドに腰かける。
 「聞いたよ今年もあぶれてたって?」
 「朝の挨拶がそれってあんまりじゃない?」
 「あー怒るな怒るな。昨日お前のこと置き去りにしちゃっただろ、だからお詫び」
 兄は小さい包みを手渡した。解くと中に入っていたのは青い石の首飾り。
 「何これ?」
 「昨日来てた行商人から買った。そんなに高いものじゃないけどな」
 「…わかった昨晩兄さんが帰ってこなかったことはお母さんには黙っておいてあげる」
 「え、ゼシカ?それは」
 みるみるうちに首まで真っ赤に染まる兄に、ゼシカはとどめをさした。
 「それと顔はちゃんと洗っておいた方がいいと思うわ。口紅ついてるもの」
 慌てて唇をこする兄に、冷たく言い放つ。
 「…嘘よ」

 ゼシカは荷物をざっと確認した。最後の戦いまでつきあってくれた鞭やこまごまとした道具類。これからまた戦うことがあるのかどうかはわからないけれど置いていってしまうのも変な話だし、しばし迷った後家に持って帰ることにした。どうせそれほどかさばるものでもないのだし。
 出立する前にせめてものたしなみと、壁にかけてある鏡を覗こうとすると足元で小さな音がした。
 拾い上げると、それはこれまでずっと自分の首元を飾っていた青い石だった。母と口論して勢いにまかせて家を飛び出したあの日、お守り代わりにと身につけてきたのだ。首をたぐれば革紐はぶっつりと切れてしまっていた。取り替えたのはそれほど前のことではないような気がしたが。
 (…ああそうか、兄さんは見届けてくれたのよね)
 納得して石をしまう。
 部屋を出ると空気は冷え冷えとして心地よかった。しんと静かな中を出口に向って歩き出す。
 廊下のそこここには酔い潰れたまま寝込んでいる者が何人もいた。彼らを起こさないようにと、なるべく足音を忍ばせながらいくつめかの廊下の角を曲がると視界の端でちらりと赤いものが見えた。よく見慣れた色だ。
 「ゼシカ」
 横から飛んできたのはよく聞き慣れた声だった。顔を合わさずに帰れるかと思っていたけれどそうもいかないらしい。強い酒の臭いが鼻をくすぐる。
 「昨日はかなり飲んでたみたいだけど随分早いのね」
 「そりゃお互い様だろ。もう帰るのか?」
 「改まってさようならとか、そういうのも照れくさいし…今なら誰か一人いなくなっても気づかれないでしょ」
 あまり話し込んでいると寝ている人たちを起こしてしまうだろうと足を進めると、ククールはそのままついてきた。
 「そういえばいつもつけてるこれ、どうした?」
 自分の首元を指し示す。流石に目敏い。
 「紐が切れたから外したの」
 「俺が新しいのを贈ろうか。首飾りじゃなくて指輪でもいいけど」
 「そういうことは上着の口紅落としてから言いなさいよ」
 「ああこれ?これは昨日酔ったレディを介抱してた時につけられてね」
 せめて焦るとかすればまだ可愛げがあるんだけど。言い訳でももうちょっと一生懸命するとか。どうして男の人ってああいうことを平気でするんだか。でもこんなことで怒るのって私がまるでククールのこと気にしてるみたいだし悟られるととことんつけこまれそうだしやっぱりもう少し早く部屋を出ればよかった。
 ククールはにっこり笑った。
 「…あ、もしかして妬いた?」
 「そんな訳ないでしょっ!」
 逃げるような早足でやっと城の正面扉にたどり着くと、ゼシカは力一杯開け放った。荷物の中からキメラの翼を取り出す。
 「リーザス村に帰るのか?」
 「そうよ大事な人が待ってるから」
 大事な、というところに含みを持たせると翼を放る。
 光が体を包み込み、トロデーン城が遥か遠くになったのを見届けると、ゼシカは一人呟いた。
 (…なんだあんな顔もできるんじゃない、ククールって)

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