Wanderer&Super Joker

 自分の物の見方や感じ方はどうやら他の人とは違うんだと物心ついたときから気がついてたから人とは距離を置いた静かな世界で過ごしてきた。多分こんな世界はずっとずっと続くんだろうとぼんやり思ってたけどその静寂が破られたのは父と母と自分が揃った夕飯の席でとある出来事を何だかきまり悪そうに告げられたのが始まりだった。
 それを聞かされた時お父さんとお母さんは仲がいいんだなとか思ったのは覚えてる。そして母が調子が悪そうにしてる時期や父がこんなのは随分前のことだからとかおたおたしてる時期を経た後にその子は新しい家族として産まれてきた。
 もう小学校に通っていたから四六時中同じ家の中にいたわけじゃなかったけどその子は乳児として当然ながらしょっちゅう泣いていてそれをうるさいなと感じることもあったから母に尋ねたことがある。
 「晶ちゃんはいつになったら喋れるようになるの?」
 母の答えはこんなだった。
 今は晶ちゃんは色んな人の言葉を聞いて自分の中にためてる時だから少し待ってあげてね。総ちゃんもなるべく晶ちゃんに話しかけてあげて。
 そんなものなのかと思って、でも僕は何を話しかけるとかも思い浮かばなかったからその子が首がすわり腰がすわりしてからは時間がある時は自分がほんの小さい頃に母がそうしてくれたみたいにその子を膝に抱いて絵本を読んだ。自分の時に両親が揃えた絵本はまだ沢山家に残っていたからそれは何度も何度も。
 そしてその子は僕の膝の上でどんどん大きくなった。人の言葉が聞こえる耳が出来上がるとでも言えばいいのか、とにかく最初はこちらが何かを読み上げてるなんてことにはおかまいなしに絵本にちょっかいを出したり膝から逃げ出したりしてたのにそのうち声の響きが気になるのか絵本ではなくこちらに大きな瞳を向け、またその後は声とページの連動に気がついたのか絵本のページの動きに注目し、そしてひらがなと絵を認識したのかページのカラフルな絵と小さな文字を凝視し。
 そしてすっかり大人しく膝の上で座っていられるようになる頃にはその子の好みらしいものも出来上がってきていて。
 「…ぽいっ、はい、できあがり。できたできた、ほかほかの」
 「ほっとけーき!」
 僕は思わずもう何度も読んで貰った大好きな本だし続きはちゃんと知ってるよって得意げな膝の上の子を見つめた。もう勿論言葉はかなり出てきててしっかり歩くようになってたけどただ毎日泣いてでしか意思表示できなかったのはほんのちょっと前だったような気がしてたから。

 …晶乃は窓際に子供用の椅子を引きずってくるとそこに座って夕飯とお風呂からこちら、窓の外ばかりを見てる。その窓からは家の玄関が見えるから。
 母は結婚記念日とか家族の誕生日とか、穏やかな毎日にぽつぽつと散らばっている様々なイベントごとを結構重んじる人でそういう日にはちょっとしたご馳走と時にはお酒と家族全員での団欒が決まりだった。
 だから晶乃の誕生日にたまたま父の出張が重なってしまったとわかった時には母はとても残念がって、家族で一番小さい子が寂しい思いをしないようにと出張の前日に前倒しでケーキと歌とプレゼントを準備してくれた。父も出かけ際に三日分だからって晶乃を力一杯抱きしめてから家を後にした。
 でもそれから二日、プレゼントは開けてもらえはしたもののなんとなく放りっぱなしになっていて晶乃は保育園から帰ってきても窓の外を気にしてばかりで。晶乃はいつもそんな感じであまり派手なわがままを表に出さない子だった。
 母もキッチンに立ちながらもう遅いのにどうしたものやらと晶乃の方をちらちらと見ているから、僕も母にこっそり耳打ちした。
 (大丈夫だよお母さん、僕が晶ちゃんを寝かすから)
 両手を合わせてごめんなさいお願いねってされて、僕は窓辺の晶乃に声をかけた。
 「晶ちゃん、お父さんのこと待ってるの?」
 晶乃は振り返ってこっくり頷く。
 「誕生日なのにお父さんがいないのは寂しいよね。でもお兄ちゃんの部屋で待ってようよ。僕の部屋は玄関の上だからお父さん帰ってきてもすぐわかるから」
 少し考えてまたこっくり頷いてくれたので二人で階段を上がって部屋に入る。晶乃が僕の部屋で過ごすこともあったので本棚には晶乃のお気に入りの本もいくつか置いてあって、僕は適当にその中から取り上げるとベッドに横になった。
 「本読んでようか。晶ちゃんおいで」
 ドアの外を気にしてる晶乃はそれでも僕の隣にやってくる。本当に小さい頃から比べるとこういうのも楽になった。本を胸の上に立てて読み上げると晶乃は一生懸命絵と文章を目で追いかけた。
 「…ねえ、そのこと、もっといっしょうけんめいねがってごらんなさいよ」
 でもわかってる。ほんの子供が気を張り詰めて何日も遅くまで起きてられないって。白いうさぎと黒いうさぎが約束する前に晶乃は僕の腕にもたれて寝息を立ててた。その目の周りが何だかこすったように赤いのは明日の朝になったら多分消えてるしテーブルについてる父は少し疲れてるけど晶乃をまたぎゅってしてくれる筈だ。

 優しい記憶は他の様々な記憶や出来事とも絡みあっていてすっかり以前通りというわけにもいかず、津川に移って初めての家族二人での誕生日は本当にとてもささやかに済ませた。
 そして僕は静かな自分の部屋で目覚ましのコーヒーが入ったカップを手にして机の上には封を開けた小さな包みが一つ。昨日の朝顔を合わすなり妹が渡してくれたものだ。
 私のお小遣いはお兄ちゃんから貰ってるしあまり高いものもどうなのかなって思って…あ、でももしかしてお兄ちゃんがお仕事で読むような本って今は全部データ化とかされてる?使わないかなこういうの
 それがそうでもないんだよ。学術書なんかは購入者がそもそも少なくて元が紙ベースで出た本はデータ化のコストと売上げが見合わないなんて問題があるから。僕だって本の形態で買ったものを今更データで購入し直そうとは思わないしね。というわけでありがたくいただきます
 妹が渡してくれたのはアンティーク調の透かし彫りも綺麗なメタルプレートのブックマークのセットだった。
 お兄ちゃん誕生日おめでとう。はいプレゼント
 あ、え?今日だったっけ?…そういえば。どうもありがとう
 私の誕生日は覚えててくれたのに自分の忘れてるって、お兄ちゃんどうして
 僕のは忘れてたって叱られたりしないけど晶乃のはうっかり忘れて罰で食事抜かれたりしてひもじい思いはしたくないからそりゃ必死で覚えてたんだよ
 もう、そんなことしたりしないってば。今日もちゃんと何か美味しいもの作るよ。それとね、明日なんだけど
 うん?
 どんな話題だって一巡してしまえば後は別のことを話すしかないものだから僕の誕生日は晶乃の誕生日よりはもう少し前向きに今のことほんのちょっと先のことを話題にして終えて、そして妹は今朝は普段より少し念入りなおめかしとセルフチェックを姿見の前で慌しく完了すると出て行った。
 ブックマークを一つ取ると朝日を受けまぶしく光って、僕はプレートに刻まれている文字に気がつき相槌を打った。そうだ全くその通り。
 Will wonders never cease

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