おれぼく・その1

 しばらくの自宅謹慎決定でラボに出入りの必要もなく暇になってしまったことだしそれでも収入は欲しいし、とか軽い気持でイザンが晶乃と一緒にバイトを始めてそろそろ一週間とちょっと。
 朝倉家で『お客様』として何もせずもてなされる身分で居るつもりは全くなかったので食事の後片付けまできっちりこなした後で寮に帰ってみると、そこにあったのは変わり果てた自分の部屋でした。
「そりゃ俺だって驚いたよ。こっち帰って来るなり部屋替われだし」
と、全ての元凶は山積みのダンボール箱とか衣装ケースの中身と格闘しながら振り返りもせずに言った。
 部屋のドアが開け放しになっているのを見てほんの一瞬だけ賊の侵入でもあったのかと思ったけどこの寮でそんなタフな展開になるわけもなく、で、中でごそごそやってるのがついこの間まで公私に渡ってあれこれあった杉田正剛とあれば嫌な方向に推理が帰結してしまってそれは多分正解で、イザンはすっかり諦めの心境で自分の机の椅子に避難すると正剛が散らかしてるのか片付けてるのかわからない様を見学することに決めたのだった。
 紙っぽいものは教科書もノートも趣味の雑誌もまとめて机の上。移動しながらパソコンのコードに足を引っかけて盛大にこけて涙目でそれも机の上。コーディネートにこだわりでもあるのか少し多く思える量の服は前の部屋から持ってくるときに何故かハンガーから外したのがあだになってまぜこぜでクロゼットの中に積んであるだけ状態。
 分類してからしまうのではなくてとりあえず目に付いたものを片っ端からそのものの所属するテリトリーに追いやるという非効率極まりない片付け方でどうなることやらと眺めていたけれど動かす手が早いせいでイザンが帰って30分も経つと教科書や何やはブックエンドとラックに収まり、パソコンは配線はともかく触りやすそうな場所に居場所を定め、服はクロゼットから何とかはみ出さない形になった。
 「一年暮らしただけだと思ってたけど案外ものって溜まってるのな。しかも何だか埃っぽいし」
 正剛は同意を求めるでなく独りごちて自分の汚れた両手を見てしかめっ面をすると、バスルームのドアを空けた。ややあって、聞こえたのは水音ではなくて何だか腑に落ちないんですけどって調子の声。
 「…あのさイザン」
 「何」
 「どうしてこのバスルームこんな殺風景で何もないわけ?俺の知ってるバスルームってこんなじゃない筈だけど」
 「ここに来てから部屋に居るよりよりラボに詰めてることのが多かったからね。体が洗いたかったらあっちにも困らない設備一式あるし」
 非常時でもなければその必要性は低いとはいえ、ラボには研究者達が仮眠と休憩が取れる程度の部屋は用意されていたし実際転入して来てからのあれやこれやで寮に帰るのが面倒になってしまって仮眠部屋の厄介になったことは一度限りではなかった。そして謹慎で一日の空き時間の大半は寮で過ごすことになっても部屋の以前の様子を維持するのはそもそも生活的なことで何かを増やしたいとかこれは絶対こうしておきたいとかいう欲求が薄い人間からすると特段難しいことではない。
 「そうなん?」
 両手から水滴を落としながらバスルームから出てきた正剛はそのまま向かいの簡易キッチンに頭を突っ込んだ。
 「…このキッチンまだ建材の匂いしてるし。この寮築何年だっけ?っつか小腹減ったり何か飲んだりしないのかよ?本当に何もないじゃん」
 「それもあっち。生きるだけならラボで全部足りるようになってる。どっかの誰かさんがお節介してくれたお陰で寮で暮らす羽目になったけどね、そもそもボクには学生生活の方がおまけだったんだから」
 「はー…」
 首を捻り捻り正剛は机の前に戻ってきて床に直に座った。何だかまじまじって感じでイザンを見る。
 「イザン、お前って昔話が不憫な奴かと思ってたらリアルタイムで不憫な奴だったんだなー?」
 「何だよその目は、不憫って言うな」
 つんと正剛から視線をそらすと、イザンはすっかり賑やかになってしまった部屋の中を見渡した。前の状態に比べるとかなり人が生活してる部屋って雰囲気になったような気がする。ただし半分だけだけど。
 「かわいそうに」
 「へ?」
 「何を好き好んで保安部なんかに入ろうと思ったんだか知らないけどもう逃がして貰えないよ?部屋換えになったのは要するにボクとお前と互いに監視し合えってことだ。これからどっちかが怪しい振る舞いをしたら上に報告する義務を負うわけ。麗しき相互不信の部署にようこそってね」
 そう、それがわかったのでげんなりしてしまったのだけど。箱実は正剛を使い倒すつもりでそれは本気。今仮に謹慎中という身分ではあるけどそれは形式というやつで期間が明けたら箱実が自分をずっと使い倒すつもりなのも本気。
 言われたことの意味を真剣に考えるつもりにでもなったのか正剛は黙り込んだけどそれは長くは続かなかった。ふっと表情が切り替わる。
 「…まあ難しいことはさておいておいて、これからよろしくな?俺生活的なことでは兄貴よりしっかりしてるし一緒に暮らしやすいと思うぜ?あと引越し挨拶ってことで買ってきて貰ったパンでも食う?」
 振られた重い話もなんのそので笑って手を差し出してきて。その手をイザンはおざなりに握って振り切った。
 「さておきするな。それとそのパンはボクが売ったのだしいらない」
 しっかりしてるってそれはどうだか。
 イザンは部屋の隅に積まれた空のダンボール箱を見て内心吐息をついた。

※身長と胸編、肯チカその3とリンクする話。察するに保安部というのは警察における某部署みたいなもんじゃないかと思ってたり(あんまり外してないかと)※

0