雨の日おまけ

●正剛とイザン●

「おかしい」
って、そんな言葉がイザンの口からぽろっと漏れたのは消灯前だった。
召集がかかる予定もない日だったから下校後はラボに行って帰って後は寝てしまえば良かったのだけど、ロフトベッドで既に横になって携帯を弄っていた正剛の耳にもその呟きは届いた。
「何がおかしいって?」
正剛は机の椅子に未だ貼りついたままの同居人に声をかけた。同居人は漫然と何かをしているということは少ない人間だったから、何の予定もない日のこの時刻に寝床に引き上げずにそんな場所にいるというのも稀なことだった。
自分の携帯を弄るのを止めて同居人の机の方を見下ろすとどうやら同居人も携帯を開いているのらしい。
「総合的に晶乃の反応が。少し前までこんなじゃなかったのに」
「何だ倦怠期ー?それともとうとうフられる前兆ー?」
同居人は机の引き出しを開けた。器用に後ろ手で消しゴムを投げつけてきて、顔面に当たりそうになったのを済んでのところでキャッチした。
「だってイザン、お前って朝倉とあんまりべたべたした付き合い方してないよな?お前がそうだから態度で返されてるんじゃなくて?」
「総合的にって言っただろ。ボクは色々わかるから」
そういえば同居人は変な特技の持ち主なので例えば自分の五感をフルに発揮すると人の感情の動きみたいなものですら察知できるとか言っていたことがある。ただそれは誰も何も信用できなくなるのが待ってる結末だから滅多にやりたくないししないとも。そういう系の勘を働かせでもしたんだろうか。
「だからとうとうフられ」
飛んできたシャーペン芯のケースも何とかキャッチした。
「そもそもお前って恋人とか結婚相手に四六時中砂糖とかハチミツとか虫歯になりそうな言葉浴びせて一日一回愛してるって言わないと捨てられちゃう修羅の国出身だろ?そっち流でやればいいのに。日本の女はそういうのに弱いんだから」
「一万回愛してるって言ってどんなことでも解決できるならいいけどね。言葉は万能薬じゃないよ」
「千回目位で呆れてもういいよーって言ってくれたりして」
同居人は携帯を閉じた。でもまだベッドに上がるつもりはないみたいだ。

●正剛と総一郎●

発信者名を見て、また随分と珍しい人からかかってきたなと思いながら携帯に出た。
『やあ正剛くん』
と、その人は言った。
「総一郎さんですか?どうしたんですか俺にかけてくるなんて」
そうラボ所属の研究者の朝倉総一郎とは兄や高柳やイザンは業務上濃いつきあいがあるけど自分とはそれほど関係は深くない。以前色々世話になったことがあるとはいえ。
『いや大した用事じゃないんだよ。イザンに確認したいことがあったんだけどラボにはいないみたいだし携帯鳴らしても出ないから。正剛くんとルームメイトだよね?今部屋にいるかい?』
言われて、部屋の中を見渡す。イザンはこの雨の中学園から飛び出して行ったきり夕飯時を過ぎたこの時刻になっても戻って来てない。そもそもイザンの仕事は自分にも把握できてないところがあって、変な時間にふらっと出て行って帰ってきてもあまり深く詮索しないのが日常だった。自分には今日はこんな天気だし出社してこなくていいって連絡もあったけど。
…ええと。
何というか、嫌な感じの直感とかそういうのが閃いた。馬鹿正直に喋っちゃいけないって。
腹を括るのに0.3秒。
「えっとイザンって低気圧が近づくとだっるーいとか言って帰ってくるなり寝ちゃってますけどね?起こした方がいいですか?」
『低気圧が?そうなの?それならかわいそうだし構わないよ。また明日聞けばいいことだから、どうもありがとう』
携帯が切れて、もう一回部屋の中を見渡す。同居人は部屋に居なくて、ラボにも居なくて、で、どうしてって人が自分に尋ねてくる。
…まさか。
総一郎という人の奥深さというか不気味さを悟った瞬間だった。

●イザンとイヅナ●

自分の体を自由自在に操れるとはいっても例えばよく見えるからって何でも顕微鏡で見たりはしないのと同じことで、能力の使いどころを選んで限るようにするのは体にかかるだろう負荷の点からも勧められていることだった。
だから割合どうでもいい事に関しては記憶も曖昧で、でも確かに自室の机の引き出しに恭しく安置しておくのもゴミ箱に捨てるのも何だか違うような気がしてそこに入れたって覚えていたからリビングのテーブルの上に避難してあった鞄の中身を漁っていて時間を取られることになった。
そいつはコインパースの内ポケットの中にあった。今日使う羽目になるとは思わなかったけど諸々のリスクを負わせるのも負うのもご免だからこれで何とかなりそうだと、晶乃をあまり待たせておくのも良くないしとそいつをジーンズのポケットに突っ込み踵を返して、リビングの片隅、観葉樹の鉢の影になっている場所に何かがあるのに気がついた。
その場所のコンセントでぬくぬく充電してるのはイヅナだった。正確に言うとイヅナの縮小再現版。ラボの誰が預かっているのか、リストは随時箱実のネットにアップされてるけどそこまでのチェックはしてない。最近は経験の蓄積の為に比較的長い時間個人宅で預かってることもあるということ位は知っていたけど。
一応こいつの仕様は『忘れない』分類の記憶だった。カメラアイやマイクで拾う画像や音声は記録として処理はされるものの即時ラボで確認できるようにはなってない。スリープ状態で名前を呼ぶと起動する。衝撃を与えても危険回避の為起動する。だから。
「お前はそこで大人しくしとけ」
口の中で毒づくと、軽く蹴るふりだけしてリビングを出た。

●それでまた、正剛とイザン●

そしてまた、なんとなく二人揃って部屋にいるだけの晩。
正剛は机に向かいながら、背中越しにやはり机に向かっているイザンに声をかけた。
「…そういえばイザン」
「何」
「先週だったっけ?雨降って授業打ち切りになった日。あの日って朝倉とやれたの?」
例によってあの日は同居人は変な時間に帰ってきたししかも見慣れない服を着てたし他のこともあったしで、ど真ん中じゃないにしろニアイコールなことがあったんじゃないかっていう推理。
同居人の言葉はあっさり簡潔だった。
「ノーコメント」
「あの日総一郎さんから電話あってさ。お前のこと居るかって聞かれたから適当に誤魔化しといたんだけど」
「ご想像にお任せで」
「…」
イザンの椅子を背もたれを掴んでぐるんと半回転させると、正剛はイザンの頭を脇に抱え込んだ。髪をわしゃわしゃわしゃってする。
「何だよ羨ましい!良かったなこの色男!助平!おめでとう!」
「何だよ何も言ってないだろ!離せ!」
「うははは羨ましい羨ましい!祝わせろって!あ、こういう時って赤飯とか炊くんだっけ?」
「な、何の話だよっ」
その後数日、同居人をからかうのには事欠かなかったんだけどそれはまたまた別の話。

※この後俺協力するからさーとか言ってイザンがどうにかしたい時は正剛がこっそり悪い方面に手を貸してたりするといいかなーとかとか※

0