冗談ED後話・完結編

 例え口を塞がれ、二人がかりで担ぎ上げられるという屈辱ものの運ばれ方ではあっても害意はないらしいと悟ってからは暴れるのを止めたのだが、それでもいましめを解かれて床に立たされた時には脇に立つ二人の人間を邪険に振り払わずにはいられなかった。
 朽ちかけた背の高い燭台に灯された明かりの届かない位高い天井と、ところどころ崩落している石造りの壁や床、そして冷え切って黴臭い空気にはおぼろげな記憶をかき立てられた。
 そうだこの場所には見覚えがある。以前押し込められていた小鬼の身体で、それも朦朧としながら狼の背に揺られて見たものだから印象は違うが。
 「異国から来た客人をこういう場所で歓待するのがハイラルの人間のやり方か?それも客の大事な従者を殴り倒して」
 服の埃をわざとらしく払うと皮肉を効かせて腕を組み目の前の人間を睨みつけた。
 先刻部屋にやって来た時にはそれ程の注意も払わなかったが線の細い、神経質そうな男だった。男の両脇に控える二人は揃いの外套に身を包み表情は完璧に消しており陶器の人形のような冷たさを感じさせる。
 「…あの狼が騒ぎ出さなければもう少しましな場所で話をするつもりだった。殴ってしまったのは申し訳ないが加減はしたので命に別状はない筈だ」
 男がそうだな?と両脇の者に目配せすると、二人は首肯した。
 どうやら目の前に居るのは一生かけても好きになれない種類の人間だと悟ったがそれでも尋ねずにはいられない。
 「…で?人のこと騙してこんな場所へ連れてきてハイラルのお偉い方が私にどんな用事だって言うんだ」
 努めて平静に言ったつもりだったが男は慌てた様子で両手を広げて己に向けた。
 「そのように怒らないで頂きたい。我々は取引を求めているのだ」
 「…取引?」
 男は頷く。
 「…ふん、まともな話じゃなさそうだけど一応言ってみたらどうだ。聞いてやるよ」
 崩れかけた石段に腰かけると膝に頬杖をつき、顎をしゃくって促すと男の眉がぴくりと動いた。
 どこからか滲み出してきた水滴が床に落ちてひたひたと音を立て、そのような僅かな音でも耳に届く程薄気味悪い程に静かな場所であったがひとたび男が話し出すと響く声で音はかき消された。
 「…この城が昨年あやしの者に攻め込まれたのはご存知か?」
 男は言った。
 ご存知どころの話ではないが己の知っていることとハイラルの一家臣が知っていることとでは随分な隔たりがあるはずだ、慎重に言葉を選ぶ。
 「ああゼルダ姫から聞いた。変なのが攻め込んできて降伏を迫られたってな」
 ザントが降伏を迫りゼルダが構えた剣を地に落としたその時ハイラル一帯は黄昏に沈んだ。ザントがガノンドロフとの盟約で得た力で影の世界から直接影の結晶が濃密に満ちた大気を送り込み、それは人の身体とは相容れない性質のものの為ハイラルの人々を魂だけの存在に変えてしまったのだ。
 ただゼルダは持って備えた力の為影の結晶が害を及ぼさず肉体を維持したまま幽閉され、それが己とゼルダとの出会いのきっかけになったのだが。
 「そう、それと前後してゼルダ様はお姿を消してしまわれた。溢れかえった魔物に城内は大変混乱して我らは陛下と共に何とか統率を取ろうと努力したが逃げ出す衛兵も少なくなかった」
 「そんなのだって中には居るんだろ」
 己もみかけた、怪物に怯え地下まで逃げてきた兵士の魂が頭をよぎる。
 「…結局理由は判らぬが城を覆う闇が晴れたのは月が二巡りもしてからだ。晴れた後も城の中から魔物は退かず混乱は続いたよ。それもいきなり終わってしまったのだがな。全く」
 嘆かわしい、とでもいうように男は首を振った。
 そこで男は己をひたと見据えた。
 その男の表情に微妙な違和感を感じ、己の中で何かが警告を発するのを感じ、心中身構えた。
 そうだこの男は正体もわからない異変や逃げ出した兵士達のことを嘆いているのではない。嘆いているのなら頬が何かに耐えるように小刻みに震えたりはしないだろう、そしてこんなにも瞳が異様な光を湛えたりはしないだろう。
 悪寒に咄嗟に立ち上がり、男から離れようとしたが男の横に控えていた二人が己の脇を固めた。
 「…全く、素晴らしい一時だったよ」
 「何だって?」
 男はこれ以上近寄って欲しくない程の距離まで間合いを詰めた。最早男の灰色の瞳はぎらぎらと輝き尋常な沙汰ではない。
 「…陛下や他の者には到底感じ取ることも理解もできなかっただろうがね。身体を闇が浸し闇と一体になる感覚だ。あの時は闇におわす我らが神を間近に感じ取ることができた。それは私だけではない私の仲間もだ」
 「…」
 この男は、そして男の仲間とは黄昏に沈み肉体を無くした己が身を感知することができたのだろうか。そういった異界と通じる素質を持つ者が珍しくないのは知っているがそれを素晴らしいとは。
 「…ゼルダ様が内密に話されているのを偶然耳にした。あの日城に攻め込んできた男が影の世界の者だと…貴女の世界の人間だと」
 「だから…私にどうしろって言うんだよ?」
 後じさると脇の二人もそれに合わせて動く。
 「我らが望むのはあの闇に包まれたハイラルの再来だ。貴女が大層な魔術師だとも聞いた。なればその方法に通じているのだろう?ハイラルと親交を求めているのならば私も私の仲間も尽力しよう。我らの仲間は少なくない」
 「…姫さんもとんでもないのを臣下に抱えてるんだ」
 言葉の外に潜む意味に男は果たして気がついただろうか。
 「何またハイラルを怪物の跋扈する地に変えようと言うのではない。我らの望みは一つだ」
 男と、己の脇に立つ二人の言葉が和して響いた。
 「我らと我らの神…………を再び一つに」
 聞いたことのない名だったがこうして正当でない手段で連れてこられ持ちかけられた話に関わるものならば到底まともなものではないだろう。
 「…断ったらどうなる」
 「私がここで話したこと一切合切を忘れて頂こう。それには我らの本拠地まで来て頂かないとならないが」
 「…そうか」
 人の愚かさというものも世界は違えど全く変わらないものらしい。それを思って深く深く息を吐き出した。男の、二人の期待を込めた視線が己に絡みつくのが何とも不快だった。
 「…それなら」
 再び場を閉ざした静寂で水滴が石の床を打つ音が聞こえ、やがて、その音に聞き覚えのある音が混じり始めたのをはっきりと聞き取った。
 「…来てるな?リンク」
 その声に応え、燭台の明かりの届かない暗がりから狼が飛び出してきたのはその時だった。