your heart my heart・その5

 小さいイヅナは兄の言った通りそれほど真剣な検証の為に作られたのではないようで、元のイヅナから感じられたような賢さとか機械ではない何かとかを備え持ってはいないのは兄が家にイヅナを連れ帰ってくる回数が増える毎にわかった。
 でも小さいイヅナはこの家の間取りと住人を一通り学習してからは訪れる度にこんにちはの挨拶をしてくれたしなるべく人の傍にいるようにプログラムされているのか部屋で一機きりになってしまう時間が一定以上になると他の部屋を巡って人間を探す。そのうち家の中で比較的人の居る確率が高い部屋というのも学習したのかリビングなり兄の部屋なり自分の部屋なりを訪れてくると、更新されたオブジェクトがないかカメラアイで部屋の中を見渡した後は勝手にコンセントから充電してコマンドをされない限りのんびりしているのが行動パターンになった。
 ちょっとした遊びを、それも受け取る人によっては微妙な顔をされちゃうんだろうなという遊びを思いついたのは小さいイヅナを相手に兄に教えて貰ったコマンドをあれこれ試していた時だ。

 夏がそろそろ終わるんだなと感じるようになったのは夕暮れ時だった。
 位置的に山寄りのそれも人口密度の高くない土地だからか初夏から盛夏にかけて日中はエアコン頼りでも夜は体感温度が低めの日が多かった。そのうちエアコンが稼動する時間が少なくなり早い時間でも窓を開け放しにすれば快適に過ごせるようになって、いつの間にか夕刻位からは肌寒く、素足が冷たく感じる。
 虫の音が大きく、手元が暗くなってきたような気がして参考書を閉じた。
時計を確認すると結構いい時間。今日は特に兄の帰宅が遅いとも聞いていなかったからそろそろ夕飯にかかろう。そうそれに明後日からは新学期だ。これでまた明後日からは皆に会えると思うと楽しみだし一夏やっと乗り切った感じがする。
 椅子に座ったまま軽くストレッチをすると立ち上がり、本棚の端の方に置いていた携帯を取り上げた。
 メールは来てない。なんとなく溜息をつく。
 イザンからちょっと出張してくるからというメールが届いたのはお盆過ぎだった。頻繁に送っても彼の都合があるだろうしぽつんぽつんとあまり気持ちは込めない近況報告的なメールは送っていたけどそのどれにも返信はない。
 …あの時彼は時間が限られてるかもしれないなら、と、そう言った。
 でもそれは彼のことも指す言葉なのかもしれないと思ったりする。春に津川に戻った彼がどういう条件で戻ったのか、それは自分には聞けないことだから。
 携帯を閉じると天井を仰いだ。
 「…ねえ寂しいね、イヅナ」
 イザンと一緒にいて楽しいのは兄や同級生の皆と一緒にいて楽しいのともまた違う。楽しいからいつの間にか忘れてたけど仕事の才能があるという彼が忙しくしているのは例えばどこか他の場所に移ってゆく可能性と遠くはないような気がした。このメールの閑散っぷりだとその時間がいつまでなのか怪しいし、学期途中でリミットが来ることもあるのかもしれない。…とか、色々考えてしまうとぐるぐるしてしまって何だかやるせない。
 推測を元にして焦ったり不安になったりするのは無駄なことだ。それに以前の空白みたいに連絡が完全に断絶したわけじゃないしその気になれば彼の声も聞ける。気安く相談できる人も増えた。それはわかってるんだけどずっと静かに心の底に沈んでたあの痛みがまた頭をもたげてきているのを感じる。
 部屋の片隅のコンセントのある場所で充電していた小さいイヅナは名前を呼ばれたことが行動開始のキーワードでスリープ状態から起動がかかった。搭載してるAIの性能のせいか小さいイヅナは人からのアクションへの反応が少し遅いことがある。その遅さがなんとなく人のようで面白くてイヅナを相手に一方通行な会話をすることが時々あった。
 イヅナは答えた。
 イエス
 これは本当は名前を呼んだことへの返答。でも自分が口にした感情への肯定だと受け取ることにするとほんのちょっとだけ気が楽になる。
 「お夕飯の支度しようか。イヅナ、来て」
 二度目の返事のラグは短く、義理堅くイヅナはイエスと答えた。