「…兄貴ぃ、お幸せに」
遠ざかる馬車の影に、ヤンガスは足元から花を摘むと放り投げた。
「おいヤンガス、それじゃ八つ当たりみたいだから止めとけ」
投げられる花が10を越えた辺りでククールはストップをかけた。
「うう、そうでがすね花も一生懸命生きてるでがす」
最後に摘んだ一輪の花を投げずにその太い指先でくるくると回す。鼻水をすすりすすりなので傍目には何だか笑える光景だ。
「それで、あっしらはこれからどうしやしょうか?」
三人は顔を見合わせた。
「どうって、ヤンガスはこれからどうするの?…あれ、パルミドに帰ってたって言ってたっけ、さっき」
ヤンガスと同じく去っていった二人の姿に感じるものがあったのだろう、少し鼻を鳴らしてゼシカは尋ねた。
「いやいやあっしはもうあの街に住むつもりはねえんでがす。ただ色々と通さないといけない筋もありやしてね、それを済ませたらまたよそに移るでがすよ」
通さないといけない筋というのがあの女盗賊のゲルダのことじゃないかとなんとなく察しはついたが、ゼシカもククールもあえて口には出さなかった。
「まあそういうわけでして。あっしはここらで失礼するでがす。何かあったらあのパルミドの情報屋に言ってくれたらいつでも連絡はつくようにしておきやすから、また会いましょうや」
言うなり、ヤンガスは懐からキメラの翼を出すと一条の光となってかき消えた。
「随分あっさりしてるわね」
「湿気っぽいのが苦手なんだろ、上手いこと逃げたじゃないか。大体俺達だってトロデーンの宴の後はあんなだったしな」
ヤンガスの消えた後には先程彼が弄んでいた花が落ちていた。それを拾い上げてククールは笑う。
「そうね。元盗賊だけあって逃げ足はさすが、ってところかしら」
既に馬車の姿は見えないがそれでも名残惜しそうにゼシカは彼方に視線をやった。そんな彼女の前にククールは優雅に膝を折る。
「さて、お嬢様もそろそろ観念して私めのところに降嫁してくださいませんか」
これまた恭しく花を捧げて。
ゼシカは「まーた始まったか」という表情でククールを見下ろしていたが、意外なことにそのしかめっ面はふっと緩んだ。
「いいわよ」
それからはまるで狐につままれたようだった。
リーザス村に着くなりゼシカは実家にククールの手を引いてゆき、女主人にめ会わすなりこう言ってのけた。
「お母さん、この人が私と結婚を約束した人よ」
その言葉だけで腰が砕けそうになったが、女主人つまりゼシカの母アローザはかなりククールを気に入った、ようだ。
還俗した(追い出されたついでに脱退しただけだけど)身とはいえあの聖堂騎士団の元団員で、由緒ある(あった、が正しい。領主の父はとっくに亡くなっており、領地も今はどこぞの誰かのものだ)家の出身で、礼儀をわきまえ(女性には特に)、何より青い瞳と銀の髪がセットの整った顔と長身。そして一度滅んだという噂のあのトロデーン城を復興せしめた勇者と旅を共にした者でもある(娘もだが)。
この条件で親として頷かない筈がなく、ククールは一番上等の客間に通されて賓客扱いの身となったのだった。
ブーツをぽいぽいと脱ぎ捨て、襟元をぐいと緩めると、ゼシカは吐息をついた。
「はーあ、疲れた」
椅子にかけて背筋を思い切り伸ばす。
「ちょっと待て、まったりくつろぐ前に説明しろ」
同じく椅子にかけたククールは疲労感に足元からじんわり浸かっていた。やたらと酒を勧められたせいで悪酔いしてるのかもしれないが。
「最後の戦いの後、私こっちに帰ってきたでしょ。お母さん最初は手放しで喜んでくれたんだけど、そのうちまた変な元気が出てきてね」
「変な元気って」
「残った跡取りは私だけだから、早いとこどっかの人とくっついてくれって。それで結構、色んな人と会ったりしたのよ」
「で」
「私、ミーティア姫様のこと同情する。チャゴス王子ほど酷くはないけど、どうしてお母さんの連れてくるのって趣味の悪い男の人ばっかりなんだか」
「で」
「あくまで口約束なんだから、巡礼の旅に出て行方不明でも、場末の酒場で腹を刺されて亡くなったという「うわさ」でも構わないの、この後は。少なくともお母さんはしばらくおとなしくなるわ」
それはつまり。椅子を蹴って立ち上がる。
「俺のこと利用するつもりか!?」
「…何よ、一番最初に会ってから今まで私に色々言ってたのって本気だったの?」
ひたとククールを見据えるゼシカの目はすわっていた。そういえば彼女も半端でなく飲んでいたような。
「俺はな」
「その割には姫様の結婚式まで連絡一つ寄こすわけじゃないし」
「それは」
「トロデーンで久しぶりに会ってみたら女の人二人も連れてて」
「あのな」
「挙句の果てに降嫁してーなんて、馬鹿にされてるとしか思えないわよ!?それなら私もククールのことせいぜい利用させて貰うから」
言葉が荒っぽいのに目の端にじわじわ溜まる涙。
つまりこのお嬢さんは連絡がなくて寂しくて、そして連れの女は何者かと、たったそれだけのことを言う為にあれだけの酒の力を借りてたのだろうか。
その答えはすんなり出てきたけれど、その途端虚を突かれたような気分になった。今まで押しても跳ね返ってくるばかりでこの百戦錬磨の目をもってしても脈があるのかないのかわからなかったのだ。だから彼女にかける言葉はいつも戯れでありまた本気でもあり、大聖堂でだってそれほどの冗談を言ったつもりはなかった。彼女と離れがたい気持ちは存分にあるのだし。
けれど。
「ゼシカ」
「…何よ」
涙が頬を伝ってるのにおかまいなしで、ゼシカはなおも睨む。
「ゼシカ、」
歩み寄ると、ククールはゼシカの手を取った。どうやら振り払うつもりはないらしい。そのまま体をかがめると、額同士がぶつかる。
いつも滑らかに動いて主人を裏切ったことなんかなかった舌にはどうやら見放されたようだ。今まで数えられない位の女を陥落した口説き文句も頭の中からすっかり消えた。
「…悪い、何て言ったらいいかわかんねえ」
「…その顔」
「あ?」
「面白いから許してあげる」
ゼシカは手を解くとほんの少し背伸びした。ほんの少しの背伸びで充分だった。ククールが今までしたことないような、それはそれは優しい小鳥みたいなキスだった。
ええと。
頭イタイ。
飲みすぎ。そう、お母さんが滅多に出さない「とっておき」の樽からワインを出してきたんだっけ。うん、やっぱり美味しかったし。
…えーと。
沢山飲んだのは覚えてる。彼の困り顔なんて見たことなかった。
夢とうつつの境に居るのに背筋がじわじわ冷えてゆくのがよくわかる。
薄目を開けるとかなり明るい。ただ屋敷の皆が動き出す時刻ではないようでしんと静かだ。ゆっくり体を起こして頭を一振りする。よくよく見ればシャツの前の組紐がだらーっと解けて全開状態になっていた。
更に寒気。
「よお」
聞きなれた声がした。それもすぐ真横から。随分前から目を覚ましてたんだろうか本を開いている。長い髪をまとめず垂らしていて、それにちゃんと夜着に着替えていて。そういえば彼の首から下というか素肌がのぞく服を着てるのを見るのは初めてだ。
気づいて、慌ててシャツの前をかき合わせた。
「…っく、ククール?」
「誤解するな俺は何もしてないぞ確認しろよ!」
「確認って、何よこのシャツ!」
「熱いって言って自分でやったんだろ!?」
「なんで一緒に寝てるのっ」
「ゼシカが寝ちまったからもう一部屋貸してくれって言いに行ったらご一緒にどーぞって言われたんだよ婚約者様だから」
「…」
寒気と熱気が一瞬で入れ替わる。
「…私、何て言ってた?ククールに」
「覚えてないのか」
心底楽しそうに意地悪に笑っている。全然覚えてないわけじゃない。ただ確認なのだ、色々の。
「…あの、怒ってる?」
彼の青い瞳を見るのも怖い。青い瞳の底に沈んでいるものを見るのが怖い。視線を下に落とす。
本を閉じるぱたりという音がした。次いでベッドがきしむ音。
「そりゃ怒るさ」
ククールは体を乗り出してくると冷たい手で頬に触れた。
「ああいうのはまず男の方からってのが礼儀なんだぜ?目、閉じてみな」