放課後、芝村舞は速水厚志の姿を求めて歩きまわっていた。
最近はパイロットと整備士達と、一丸となって整備を続けてきたお陰で士魂号の性能もほぼ最高の状態に達している。戦闘に出ても被弾することなど滅多にない。もっとも後者は入隊以来、鍛錬に鍛錬を積んできた二人のパイロットの努力の賜物だが。
そして奇跡は実現し始めている。5121小隊の存在は大きく戦局を変えた。3番機のみならず1番機と2番機パイロット、スカウト、整備士やオペレーター、それにもちろん司令、事務官に衛生官らの尽力により、熊本から幻獣が駆逐されつつあるのだ。
出撃も以前のように連日ではなくなり、お陰で最近少々志気は緩みがちではあるが、きっとほんの束の間のことなのだしと許されるような雰囲気があった。
しかしその華やいだ雰囲気の反面、どんどん表情を暗くする人間がいた。
気の優しい少年だ。示す才能とは裏腹に、時折パイロットに向いていないのではと思わせる言動もあった。強者であることの苛烈さが、彼を激しく消耗させているのは目に明らかだ。
なるべく彼の傍らに居るのはカダヤである自分の務めだと、姿をくらましがちな速水を求めて右往左往するのは舞の日課になっていた。
彼は出会ったばかりの頃、こう言ったのだ。悩むことなら一緒にできると。
今がきっとその時なのだろうと舞は考えていた。
速水厚志はぼんやりと、夕日を見上げていた。
茜色に染まる横顔はまるで燃えているかのようだが、なんとなく生気に乏しかった。
「厚志。やはりここにいたか」
プレハブの屋上への階段を登りながら、舞は声をかけた。
速水は彼女の姿を認めると、手を振った。
「うん、ここからだと夕日が一番綺麗に見える気がするから。校舎内でね」
「そうか」
舞は速水の横に立ってみた。なるほど遮蔽物が何もないから夕日がつかみ取れそうな大きさに感じられる。
「それにしても日が延びたな。我らが入隊した頃はこの時刻なら暗くなっていたのに」
「そうだね。ここに来てから一月半しか経ってないんだ。何だか長かったなあ」
「時間の過ぎる速さは密度に反比例すると言うぞ」
速水は舞の方を向いてぽややんと笑った。
「舞はどう?長かった?短かった?今まで」
「よくは判らぬ。ただここ一月は私の生きてきたどの時間より密度が濃かった」
速水は頷いた。
「パイロットになって。撃墜数を上げて。勲章を沢山貰って」
口調に皮肉めいた彩りがある。
「それだけではない。決してそれだけではないぞ。…厚志」
「うん?」
「そなた、少々休んではみぬか。最近は出撃も少ない。一人や二人欠けたとて大勢に影響はないだろう」
「どうしたのそんなこと言うなんて…舞らしくない」
舞は人差し指を速水の鼻先に突きつけた。
「そなたが心配だからだ。そなたが毎日毎日うっとおしい顔で悩んでいるからだ。その原因は学校に来て出撃していたら募るばかりだ。違うか」
速水はぽかんとして、しばらく舞の顔をみつめていた。なんとなくばつの悪そうな表情になる。
「ばれてた?」
「この期に及んでそんな顔をしてるのは小隊ではそなただけだ」
「怖いって言ったら笑う?僕達がこうやってどんどん撃墜数を上げて…そうだね、もうそろそろ絢爛舞踏だって手が届く人間になっていこうとしていることが、怖いって」
「勲章は我らがこれから行おうとしていることの通過点に転がっている石に過ぎぬ。余人のくだらぬお喋りに耳を貸すな」
言って、この前のアルガナ勲章を取得した時のことを思い出す。口さがないクラスメイト達。冷たい空気。戦と企みごとと、その二つを日常としてきた芝村の末姫ではあったが、少々人間に絶望しそうになった。
(人とは弱いものなのだ)
彼女が戻ってきた結論はこれだった。弱い故に異能である者を畏れ、さげすむ。それを責めることは絶対にできないのだと。そして自分と共にアルガナを取得した少年がどのような結論を導いたのかはよくわからない。ただ推測できることは、彼が一度手酷く人間から裏切られた以上、二度目や三度目を受け容れるのは容易ではないだろうということだった。彼もまた、弱い人間の一人であるのだから。
「舞は強いね」
「強くはない。強くあろうとしているのだ。そなたもそうであると嬉しい…」
舞は呟いた。地雷であることは承知している、彼のかつての名前を。
「!」
速水は舞を突き飛ばした。咄嗟に受け身を取れず、背中を強打して横たわる舞に馬乗りになり、両手を彼女の首に伸ばす。
「…どうして…そのことを…」
「私がカダヤと定めた人間を、芝村が調べぬと思ったか」
「つッ」
速水の指に力が籠もる。頭に上る血が止まり始める気配に舞は空気を求めて、大きく息を吸い込んだ。
もちろん、速水をはねつけることもできるだろう。しかし目の前の少年を信じたかった。どのような戦地においても共に戦ってきた、そして自分のことを好きだと言ってくれた速水厚志を。
そう、信じる決意は彼の過去を知った日に済ませた筈だったのだ。
舞は速水の青灰色の瞳を見据えた。
「そなたのこの手は確かに、血で汚れているかもしれぬ。しかしそなたの手はまた一人の女の命を救ったぞ。小さい、非力な女だ。この小隊に来るまでは死を予言されていた女だ。全て、私のこの生はそなた故。命を与えられた人間にまた奪われるのなら異存はない。殺したければ、殺せ」
速水の目がふっと細くなる。笑っているのか、泣いているのか。判別つけがたく。
彼は喉の奥から絞り出すような声でやっと囁いた。
「舞が…死ぬ運命だった…ってこと?そんな…馬鹿な」
瞳に宿る狂気が薄れてゆく。
「…芝村にも運命の予言はある。しかし運命はそなたと私とで変えたのだ」
舞がゆっくりと、速水の手に自分の手を添えると、難なく首に食い込む指ははずれていった。
「そなたに動かしがたい過去があり、癒しがたい傷があるなら私が癒す。越えがたい壁があるのなら私が手を貸す。…だから恐れるな、未来を。私はいつもそなたと共にある」
速水の上半身が崩れ落ちてきた。顔はもうよく見えなかったが、芝村舞は男性が泣くのを生まれて初めて聞いた。