●混沌●
私達の旅が一旦終わったのはある日の朝のことだった。
実はもう少し前から兆候のようなものはあったのだけれど、あの人の自分を追い求める旅の足を引っ張りたくなかったという遠慮もあり、先に延ばし延ばしにしてきたのももう限界だと思えたからだ。
月に一度あるものがなくなり、剣を振るう腕がやけに重くなり、そして長い時間馬に揺られるのもきつくなった。
だから言いづらくはあったけれど、朝食の時にあの人を捕まえて告白した。
つまり、私のお腹の中には子供がいるらしく、その父親はあなただと。
その時のあの人の顔は多分、この先ずっと忘れないだろう。表情に迷っているというのか、とにかくいわく言い難い顔をしていた。
しかし父親になったということについての感想はさておいて、あの人のそれからの行動はやけに素早かった。
これ以上は戦から戦へと渡り歩く生活は続けられないだろうと、なんとかいう知り合いの人の家に話をつけて私をそこに預けることにしたという。
あの人はそれから一人で戦に出ては私が預けられた家へ帰ってくるようになった。
日に日に大きくなるお腹を抱えて、不安でなかったと言えば嘘になる。しかしあの人の持つ強運を信じてとうとう臨月になった。
剣先がかするのより激しい痛みと大量の出血と、こんなので戦場に出ているあの人より先に命が尽きたりしないのかと思いもしたが、子供は案外無事に産まれてきた。
あの人はその日は居合わせず、子供と対面したのはそれから少ししてからだった。
「ふにゃふにゃしてるし小せえし何だか頼りねえな」
と言いながらおっかなびっくりで子供を抱くあの人の顔を見て、戦場で物騒な二つ名を持って恐れられている男と同じ人間だと見抜ける者はいなかっただろう。
「おかーさ」
最近やっと喋るようになった子供が小さな腕を振り回して、私の前髪を掴む。
剣の手入れをしていたあの人は剣を置くと、私の腕の中から子供を抱き取った。
「こいつお前のことは呼んでくれるのによ、俺のことは呼んでくれねえんだよな」
「そりゃ、私はこの子と毎日一緒に居るけどお前とはたまにしか顔を会わせないだろう。仕方がない」
「…」
あの人はしばらく、子供をあやしていた。子供は新しいおもちゃが出てきたと、力の限りあの人の髪を引っ張ったり鼻を掴んだりしている。それに腹も立てずまんざらでもなさそうな様子を見て、私は笑った。
と、不意に甲高い声で、
「…おとーさぁ」
その声に私とあの人は顔を見合わせた。
朝日が差す中、ガッツのマントにくるまってキャスカは眠っていた。
「あーあ暢気だねガッツは一晩中剣を振り回してるのにさあ」
パックが彼女の顔の真ん前に立つ。
「もう少し寝かせておいてやってくれ」
一晩、死霊と斬り結んでげっそりとやつれたガッツはそれでも小声で言った。
「いいのー?」
「いいの」
パックはぺたりと手をキャスカの額にあてた。
「そーだね何だか楽しい夢を見てるみたいだし」
「判るのか?」
「んー、なんとなくね」
夢の中だけでも彼女が安息を得られるのなら。
ガッツはキャスカの頬にかかる髪をそっと払った。