自分みたいなのは社会では少数派って言われる人間だって知ってたから、だからあまり近づかないようにしたの。
だって美術館でしょ?オープンスペース。前から後からどこかの誰かがやって来るそんな可能性のある場所で、怪しい風体の人間がどこからどう見てもお嬢様然とした女の子に話しかけてるのなんて見られたら不審に思われるじゃない。
そりゃ、あの瞬間イヴのことハグしたくなかったって言ったら嘘になるわよ、なるけどそれ以上にイヴを不利な立場にしたくなかったの。だからまたねって。また会えるかもわかんないけどまたねって。
でも最低限、イヴに借りたハンカチは返さなきゃって。真白なレースのハンカチ、アタシが汚しちゃったけどちゃんとシミ抜きして糊効かせてアイロンかけてもう一回箱に詰めたらそのまま贈答用に使えるんじゃないかって位に仕上げたの。
ハンカチを綺麗に仕上げたらあとはイヴを連絡を取る手段を探すだけだったけど、それはあまり難しくなかったわ。だってこの地区でイヴ位のお育ちのいいお子が行く学校は一つしかなかったから。何日か下校時に買い物帰りの通行人Aのふりをして買い物袋を持ったままその界隈をふらっとして。
そしたらきっと神様が引き合わせてくれたのね。…ああアタシは基本的に神様ってのは信じてないわ。アタシがこんなだったり、美術館であんな変な冒険をする羽目になったのは多分そういう存在とは正反対のものの采配のように思えるけどでもきっとイヴに会えたのは善的なもののはからいとかそういうのだって感じたから。ややこしいから神様ってことにしておくわね。
学校からお友達と連れ立って出てきたイヴはアタシと目が合うなりこう言ったの。
「あ、おじさん」
うん、その時はたまたま朝からの野暮用で(アタシみたいな人間にも年に何度かはそういうことはあるのよ。笑わないの)普段よりはかなりフォーマルな格好はしてたわね。だから無理はせずとも「おじさん」に見えたでしょう。 イヴはお友達に何かを説明して、お友達もアタシの方を見て別に不審がるでなくにっこり笑ってさようならのご挨拶をしてくれて、アタシはイヴにやっとハンカチを返して前に約束した喫茶店に行くことができたの。
…きっとお嬢様ってだけじゃなくて咄嗟の機転がきく子なんだわ。じゃなけりゃあの時「おじさん」なんて言えないしあの美術館から生きて出られることもなかったのよね。
アタシは紅茶のカップを傾けて思う。
アタシとイヴの会話はごくごく普通だったわね。変とも言えるけど。
イヴの学校は…学園なのね。凄いわどんな勉強が好きなの?
えっとね音楽と体育。算数は苦手なんだ
あらそう。お絵描きとかは?
好きだったけどこないだのでちょっと嫌いになっちゃった
無理もないわよ
心配はしてたのよ。だってアタシだって二三日嫌な夢見てうなされたもの。それをイヴみたいな子供がどうやってイヴの中で折り合いをつけるのか、ね。まだこの年齢だから夢も現実もまぜこぜにして受け入れる能力があるのか、あんまり暗い影はイヴの中に落ちてないみたいで安心したけど。
ただあの美術館であった出来事、その具体的な内容はアタシもイヴも口から出さないままだった。ゲルテナの作品がそのまま実体化した怪物たちとアタシたちの薔薇。メアリー。メアリーのおもちゃ箱。…まあそんな話を大人と子供と大真面目に話し合ってたらドラッグでもやってんじゃないのってしょっぴかれかねないからそれで正解だったのかもしれないわね。
イヴはお皿に盛られたマカロンを取ってそのまま齧ったりしないで、まず半分に割ってそれから口に運んで。合間合間に飲むココアもふうっていちいち冷ましながらで。アタシの子供の頃だったらこれは全部あんたのよって言われたら皿抱えて食べてたんじゃないのかしら。
そうやってイヴはマカロンを二つだけ食べると首を傾げて言ったの。
「ギャリーは食べないの?」
「ん、アタシはいいのよ。もっとおあがんなさいな」
「うんでもね、あまり食べ過ぎると夕ご飯が食べられなくなってお母さんに叱られちゃう」
「オーケー、テイクアウトにしてもらいましょうか」
あんまりイヴを引き止めてると親御さんも心配させちゃうだろうし、店員を呼んで小箱に残りのマカロンを詰めて貰うとお会計の時イヴに渡したわ。
「ハンカチを貸したお友達にお礼で貰ったって言ったらいいわよ」
だって嘘じゃないもの。
イヴは頷くと箱を受け取って、それからアタシの方をまっすぐ見て言ったの。
「ギャリー?」
「何?」
「また会える?」
本当はそんなこと言っちゃいけないのかもしれなかったけど。でも言っちゃったのよね。
「そうね、またね」
「約束だよ?またね」
喫茶店を出て私の方に手を振りながら遠ざかるイヴの姿を見て、またねって言葉がこんなに嬉しく思えたのも久し振りだったんじゃないのかしら。