「はいこれ肯の分」
ぽいと投げてよこされた缶をペンライトの灯りで確認すると、高柳は呆れ顔になった。
「…ちょっとこれお酒じゃない、いつの間に買ったのこんなの」
そう確か商店街から帰る途中で買ったのは新規開店したベーカーリーのパンと、コンビニでお菓子をちょっと、それと寮に置いてある自販機のジュースが何本かだったのに。
なのに缶にプリントされてるのは水滴滴るレモンの絵とアルコール5%の文字、要は缶チューハイって奴。
「わははそこは抜かりなく寮の闇ネットワークで物々交換で手に入れましたー。いいじゃんこんな日位」
高柳の困惑そっちのけで宗親はプルタブを引いた。
確かに寮監の先生のあずかり知らないところで寮生同士で流通している品というのはあって、それはお年頃の男の子必携の本だったり、ウチの子はまだ子供だと思ってる親が見たら泣いちゃうような物だったり、あるいは高校生の年齢ではまだご禁制の嗜好品だったりするのだけれどそれはあくまでこっそりやるのが不文律だ。そして別に寮則に不満もなければあえてやんちゃをしてみようという意思もない人間には普段そういったものは目にも触れないのだが、まさかルームメイトがそんなものを持ち出してくるとは思ってもみなかった。
「…別にいいけど、缶を捨てるときに学園の敷地には止めてよ?」
とはいえ飲めないわけじゃないし、寮則違反をわざわざあげつらうほどお堅い人間でありたいとも思ってない高柳もプルタブを引く。
「「かんぱーい」」
消灯時間はとっくに過ぎたので小声で言って、ペンライトの乏しい灯りに照らされながら軽く缶をぶつけ合った。
「にしても意外だったよな。ああいうのが好みなわけ」
おつまみ代わりのポテチの小袋を音を立てないようにハサミで開封すると宗親は高柳に勧めた。
空腹をお菓子で埋めたいタイプではない高柳はありがとうと言いながら缶を傾けた。
意外というのは夕方立ち寄ったベーカリーで出くわした、目下のところ二人の上司である朝倉総一郎の妹の晶乃のことだ。
例えば工業高とか理数系クラスとか男女比が1:1でないところに在籍している女の子は何かと優遇されるものであるとはいうけれど、そういう上げ底をとっぱらっても朝倉晶乃の評判は良かった。いかにも都会の学校から来ましたというすました感じではなく人当たりは柔らかく惹きつけられる雰囲気があったし、話してみれば性格も悪くない、それに何といっても可愛らしい顔立ちだ。その辺美人系姉御肌押出しの強さと三点セットの同じクラスの小曽根崎すぅ子とは対照的でもあった。だから何かと晶乃と会う機会もある小学校時代の元同級生二人が淡い期待を抱いたところで罪はない。
筈だった。ベーカリーで晶乃の横に下級生がいるのを見るまでは。それも明らかにこっちのが負けてるなーと納得できる風体じゃない奴が。恋愛には複数要素が絡むと知らないほどお子ちゃまじゃないつもりでしたがそれにしても電光石火&サプライズな感じでした、とさ。
「反動じゃない?」
沈黙が長く続いて何だか空気が重苦しくなる気配を感じたので高柳はとりあえず口を開いた。
「反動って何よ」
高柳とは正反対に結構な勢いでポテチを殲滅しつつ宗親は尋ねた。余計なことを喋ると余計なことが口から漏れてきそうですとでも言うように。
「ほら、総一郎さんって僕らより7つだったっけ8つも年上でも守備範囲外のところには全然気が回んないし、それで朝倉は苦労してるから年下でも気の利いた感じの人間に惹かれたとか」
「成程、年上と年下、気が利いたり利かなかったりが対立項だと。…って肯は知ってんの、北川のこと」
晶乃よりちょっと前の中途半端な時期に転入してきたそいつのことを宗親も名前と顔位は知らなかったわけではなかった。前にちまっと話した時には北川はモビコン絡みでこちらのことは知っているとか言ってたっけ。お噂はかねがね~とか何とか。
「北川って僕が入院したとき何でだか総一郎さんとお見舞いに来てくれたよ?その時に話した印象で細かいところに気がつく感じかなって。よく知ってるわけじゃないんだけど」
「気配りだったらうちの肯くんも負けてないのにねえ」
残りが細かい破片ばかりになった袋を傾けて嘆き節と共に口に直に流し込むと宗親は言った。
「…だからそこで僕に話を振らないでくれる?」
高柳は缶を軽く振ってみた。どうやら自分でも気付かない程速いペースで飲んでたみたいで残りは少ないようだ。
「でも別に一緒にバイトしてたからって朝倉と北川がつきあってるって確定したわけでないし、つきあってたとしてどっちから告白したかもわかんないわけだし」
「言われてみればそうだよな」
宗親はうんうんと頷いた。
「…それにまだ一年あるんだしチャンスがないわけでもないんじゃない?」
缶はきれいに空になった。
「そうだよな!うん、よし、これで明日という日を生きる希望が湧いてきた!じゃあ寝るー」
空き袋を勢いよくゴミ箱に突っ込みペンライトをひねって消すと、宗親はベッドによじ登った。
高柳は自分の缶と宗親の缶をとりあえずどこでもいいから人目のつかないところに置いておこうと取り上げて-宗親の分はずっしりと重い。よくよく見ると開けただけで口をつけた様子がない。
「…杉田、これもう飲まないの?」
宗親のロフトベッドに向かって声をかけ、返事がないのを訝しく思って梯子に手をかけて覗き込むと、宗親は布団を抱きしめて寝息を立てていた。
「早」
…久し振りの家から学園の移動で疲れたとか?そんなに遠距離じゃないのに。それとも朝倉のことがそんなにショックだった?
でも寝ちゃったのを起こすのも悪いなと梯子をそっと降り、一瞬逡巡してから手に持ったままの缶に口に当てた。それからアルコールの匂いって篭るんだっけと思い直して窓に寄ると空気が流れるようにわずか窓を開ける。
夜の闇はガラスを鏡に変えて自分の顔を映し出した。…なだめるばっかりじゃなくて愚痴りたい気持もちょっとはあったんだけど、って顔。
苦笑いをして窓を大きく引き上げてしまうとその像は消えた。窓枠にもたれかかり肘を突いて残りを一気に飲み干す。
何だか杉田に色々持っていかれちゃったな。
その呟きは声にはならず缶の中身と一緒に喉を流れていった。