目の前で交わされる親子の会話はどこまでも賑やかだった。
彼の―ザンス・リーザスの人差し指がびっと自分の方に向く。
「だから母さん、俺こいつのこと気に入ったしこんなでも案外有能だから乱義に唾つけられる前にここに置いとく。他の奴が納得する理由なんかいくらでもでっち上げが効くんだから別に構わないだろ」
「あーんそうなの?そりゃザンスが決めたんだったらいいけどー、ふーん」
長い旅から帰還した息子を、王子を女王として威厳を持って迎えたのもほんのわずかな時間で並み居る家臣たちを人払いしてしばし、女王の私室に移ると親子というかリア女王はずっと息子にべったりだった。
椅子にかける息子の膝に嬉しそうにお姫様抱っこで座った女王はちらりとこちらを見た。初対面の時もこんなだったけどどうにも慣れそうにない冷やっこくて遠慮ない視線。
「リーザスとしては法王の娘ってのなら色々美味しいとこあるかもしれないけどそれにしてもまだ子供産むには小さすぎない?それにザンスって巨乳が好みじゃなかった?いいのこんなので」
ザンスは吹いた。両腕が何かを握り潰そうするようにぐぐぐと動いて、強力で押さえつけるように下げて。
「俺が気に入ったんだからいいだろ!?それに母さんだっていくらでも選びようがあったろうにあんなアホとの間に俺作っておいて言えた立場かよ!」
怒鳴られて、それでも女王は嬉しそうに答えた。
「アホだなんてひどーい。ダーリンは史上最高の男だもんザンスも実の父親にそんなこと言わないのー。あ、そうそうダーリンの捜索隊組織するのに各国から人出そっかって話が自由都市からあったんだけどどう思うー?」
自分とザンスの父親つまり元魔王だった男性は気ままに失踪してしまったのでどう探そうかという話らしかったけど、それを夕飯は何にしようかというような調子で尋ねる女王を息子は膝の上からかなり強引に下ろした、というか落とした。
「知るか放っとけ!その話は明日だ明日!それにいい加減こいつも疲れてんだろうが!」
再度話と視線を向けられて曖昧に頷き返して、でもそれがザンスが逃げる口実だとわからないほど馬鹿じゃないつもりだった。
壊れる一歩手前じゃないかという位の音を立てて背後の扉が閉まってしまうと、別に自分が表に立って何かをしていたわけではないのに急に体がずっしり重くなったように感じてへたりこんだ。
「何だよお前、俺に話合わせたのかと思ったら。ぶっ倒れんなよあっちだ」
荷物を持ってくれていたザンスがこちらを見ると顎をしゃくって部屋の一角のベッドを示す。
…村の家に戻るなり彼が母と話をつけてしまってリーザスに向かう道、彼の歩みが早いのは何か里心とかそんなものかと思っていた。
けれど次第に思い出したのは旅の途中に彼が休憩の取り方で言い争いになったことで、それ以降は彼が他の皆に合わせていたことで、だから二人だけになってしまったら遠慮をする人間もいなくなり、そして彼はそもそも一軍を率いる位の兵士なので頑健で健脚で自分もかなり鍛えられたとはいえ体力の土台が全然違うということだった。
それでも文句を口に出さなかったのは意地のようなものだったけどそれも限界らしく、その言葉に頷きなんとか体をベッドまで動かし、革の長靴を足から引きはがして這い上がると体が一層重くなったような気がした。
ザンスは横に椅子を引きずってくると後ろ前で座り背もたれの上に腕と顎を乗せた。
「母さんやかましいだろ」
頷く。
「俺が城に居る時はいつもあんなだから諦めろ」
頷く。
「あとお前もしばらく用心して寝る時でも剣は自分の横に置いとけよ」
それは随分物騒な話だと思う。
「別に今ここに何かある訳でも警備がザルって訳でもないけどな。お前なんて田舎でぼんやり暮らしてたからわかんねえだろうけど魔王の子は皆ガキの頃からえぐい目に逢ってる奴ばっかりだ。あのアホが人に戻ったからってすぐにやかましい奴らが黙りゃしないだろうしお前はチビだから見くびられ易いだろ。それにお前が俺の」
言葉が止まったのでザンスの方を見ると彼は自分の頭をがりがりと掻いた。目が合うと彼の指が自分の額に移動して真中をぐりぐりされる。痛い痛い痛い。
「…あー、とりあえず誰もお前に手出しはさせないように俺も気を付ける」
是非お願いします。
「それに」
うん。
「俺はお前を利用しようとかそればっかり考えてここに連れて来た訳じゃねえからな。…まさか素直についてくるとは思わなかったけどよ」
…
ほんの何日か前、やっと家に帰って母と楽しい夕餉を過ごした翌朝のこと、母は家を訪れてきたザンスを出迎えた。始終ザンスの方が前のめりだったけど、彼の話を一通り聞くと母は静かにこう答えた。
法王としては信徒の数が減ったからってどこかの国に権威を与える見返りに後ろ盾が欲しいとかはないんですけどね。そういうの昔はあったらしいですけど私は面倒なので。それにこの子に才能があるからってぽっと出の人間が必要になる程リーザスの軍人の層が薄いとも思えませんが。それともザンスさんは何かやましいことでもお考えですか
母が供したお茶を手にザンスはむせた。
あ、赤くなったやーいやーい。嘘です。お茶、ちょっと渋かったですかね。いいですよエールをお連れ下さい
…
…
…
確かにザンスの第一印象は最悪だったけど。
母の言葉に頷いたのは彼と皆と一緒に過ごした時間の積み重なりで彼がただ単に傲慢なだけの人間じゃないと気が付いたからだった。母が好んで集めてる貝殻の内側のように、覗く角度や光の当て方によって色が変わって見えるようなことは人にもあるというのは自分の中ではとても面白い発見で、それでも帰ってきたばかりなのにまた家を出ようという気持ちの最後の一押しをしたのは何なのかよく分からない。
「…んー、何となく」
「ぁあ?お前何となくでこんなとこまで来たんかよ」
ザンスの指に額をぐりぐりされる。痛い痛い痛い。
「…まあそんなんでもいいか。リーザスに来たこと後悔はさせねえぜ」
頷こうと思ったけどもう体のどこもかしこもが泥に絡まれたようで、だから彼が椅子から立ち上がり、部屋の片隅に立てかけて置いていた剣を持って戻ったのも目で追いかけるのが精一杯だった。
ザンスの手が剣を自分の横に置き、自分の手を掴むと鞘の上に置かれた。
「ほら持っとけ。…何だもう寝たのか?」
覗き込むように少し顔が近くなる。普通に平らに喋ると彼の顔も声もいかつい感じはあんまりしないというかその反対だった。
…
と、ザンスの体がびくりと跳ねた。
…その、彼の視線の先。
ずっと二人きりで喋ってたと思ってた。ノックの音も聞こえなかった。自分達以外の人の気配も感じなかった。なのに。
「…母さん、どうしてここにいるんだよっていうかいつからそこにいたんだよ!?」
ザンスはいつの間にか部屋の壁際に影のように立っていたリア女王に向き直った。
「…えー?つい親心で」
まるで悪びれずに女王はうふふと笑う。
「っ出てけ出てけ出てけ!」
「やだーケチー」
「ケチーじゃねえよ!」
そしてザンスは女王諸共けたたましく部屋を出ていってしまったので、どうも自分はかなり大変なところに来てしまったらしいとか他人事のように考えながら意識は落ちていったけど、とりあえず彼が横に置いてくれた剣を持つ手は離さないでおこうと思えたのだった。