二本の刀身が鈍い音をたててぶつかり合う。
リンクは先に仕掛けてきたモイの剣を受け流すと横になぎ払い、飛びすさり避けられたのですかさず前方に向かって剣を突き出す。それも予測の範囲なのだろう、モイはまたも身を-リンクの利き手側故、反撃に時間差が生じる-リンクの左側に踊らせ剣を振りかぶる。
咄嗟にリンクは身を沈めると足払いをかけた。がら空きだったモイの足にそれは綺麗に当たり、モイは前のめりに地に沈んだ。それでも次の瞬間には立ち上がり、そして後ろに回り込んだリンクに置かれた肩の上の剣に目を走らせると両手を上げた。
「降参。もう俺が教えることはないよ」
リンクが剣を下ろすとモイは服についた砂を払った。
「苦手な攻撃をされたらすぐに切り返す機転はある、それで身のこなしも早い」
腕を組んで一人納得するとリンクが差し出した木刀を受け取る。
リンクは水辺に寄ると掌に水を掬い取った。水を溜める掌も自分もモイも泉もそれを囲む木立も黄昏色に染まり、いつか見た光景を思い出させた。
「…どっちかと言ったら実戦で鍛えた剣だよな、お前のは」
モイは横に腰を下ろした。膝の上に肘をつくと腕で水に濡れた顔を拭う弟分を見やる。
「リンク、何があったか言うつもりはないのか?」
「…上手く言える自信がないよ」
モイが何を聞きたがっているのかはよく知っていたから仕事は早めに切り上げて久しぶりに剣の手合わせをしようという誘いも断らなかった。けれど話せることと話せないことはごたごたにからみ合っていてどこから手をつけたらいいのかわからないのが正直なところだった。
「俺が知ってるのはお前が攫われたこの村の子らを全員取り返してくれたってことと、橋の上に陣取ってたブルブリンを倒したってことと」
わざとらしく指を折り、そこでにっと笑うといきなり弟分の頭を腕に抱え込んだ。空いた手でぐりぐりする。
「いつの間にかトアル村のリンクがゼルダ様の覚えがめでたくなってるってことなんだけどな!?」
「痛い痛い痛いってばモイ!」
「それとお前と一緒に居たって美人のこと、これはわからんが」
「…」
やっとのことでモイの腕から逃れ出ると、モイの瞳にはどうやら面白がっているような光が浮かんでいた。
「惚れたな?それもゼルダ様じゃなくってもう一人の方に。ゼルダ様だったらまたお目通りも適いそうだしそんならもう浮っついてるところだよな」
あんまりといえばあんまりの。
「で、その美人と何かあったから萎れてるんだろお前」
そしてとどめ。
「…まあよくあることだぞ?しょげるのも適当なとこで止めとけ。皆にあまり心配かけるな」
そろそろ帰るかという誘いの言葉もなくかといって兄貴風を吹かせた慰めの言葉もなく、モイは立ち上がると振り返りもせずに村の方へ去っていった。
後にはリンク一人が残された。
ミドナが笑う。
私の唇を奪うなんて不埒な奴はお前が初めてだぞリンク
けれどその笑顔には陰がある。
ゼルダが砂を一つかみ、その手に取ると砂は風に巻かれて散ってゆく。鏡のかけらは細かい銀色の破片となって砂に混ざりきらきら光る。
ミドナは…陰りの鏡自体が持つ魔力と影の世界がザントのような者を出したことをとても気にかけていました。再び同じことが起こるのではないかと言って
その声は鏡の間に静かに静かに響く。
…暗闇の中、リンクは目を見開いた。
もう狼の姿で夜の冷たい空気に晒され眠ることも魔物の襲撃に備えて剣と膝を抱えて眠ることもない筈なのに熟睡を体が拒んでいるようだった。浅い眠りの中を彷徨っているとあの夜から鏡の間までのことを繰り返し夢に見て、それは毎晩のことになっていた。
しかも今日はモイのあの言葉がひっかかったままだ。
…よくあることだぞ?
違う。
人の姿を魂に変えるトワイライトの世界とそれを解放し、そして鏡のかけらを集めてガノンドロフを倒すまでの戦いの間中ずっと側に居て。最初のうちこそ毎日何だか喧嘩腰で話してたけれどでも本当はちゃんと人らしい優しさもあって。そして恐る恐る自分を頼ってきたミドナを助けたいと思った。闇の結晶石の力を借りて変化しハイラル城の結界を壊した、恐ろしげな姿を見たときでも心は不思議と揺らがなかった。何よりもミドナを信頼していたから。今まであんな形で一人の人間と関わったことなんてないしこれからもきっとない。
それがあのミドナで。
自らの魔物の姿を指して醜いと言ったのは覚えていたけれど。
けれど変わってしまったのはミドナの外見だけじゃない。
外見だけじゃなくて、僕の
…僕の?
深い水底に潜り再び水面に顔を出した時のような息苦しさと開放感が一時にやってきて、リンクは胸を衝かれて起き上がった。
と、風が雲を動かしたのか、月の光が窓から差し込んで部屋の中を照らし、次いで左手の甲にうっすら浮かぶ聖なる印を照らし出した。
それは何かの啓示のようにも思えた。はっきりと言葉で示されるものではない、けれどこの気持ちに気づいて、認めた自分に迷わず行けと語りかけてくる。
あの日以来泉に宿る光の精霊は呼びかけに姿を現すことはなかった。マスターソードも森の聖域に還した。
自分の使命を伝えられたのが突然だったようにそれが終わったのも突然で、急に世界の不思議を見渡せる扉が閉ざされてしまったような気分になったけれどそれを恨もうとは思わなかった。そういうものなのだろうと思っていた。
じゃあこの聖なる三角は?
ガノンドロフは最後の瞬間にこの印から見放された。けれど僕の印は消えていない。それなら僕にはまだこの世界を司る神の加護があるのか?
リンクは床に足を下ろした。
異変に気がついたのはリンクの家の手前でだった。
普段エポナは人より鋭い感覚で誰かが来た気配を察すると(それがまめに世話を焼いている人間のものだったりすれば特に)低く嘶いたり足を踏みならしたりで歓迎してくれる。その音が今朝は聞こえてこなかった。
いぶかしく思いながら彼の家まで行けば普段エポナが繋がれている木の下にその姿はなく、また扉を叩いてみても主の返事の一つもなかった。
それならきっと泉に。
少しはエポナの世話のことも気にかけるようになったのかしらと足を向けてみれば泉はただ水を湛えているばかりでやはり求める人の姿はなかった。
泉を後にすると、イリアは気がついて村とは反対の方向に、フィローネの泉の方へ駆けだした。地面に残るまだ新しい蹄鉄の跡がその方向だと告げていた。
今日は村の外への使いなんて話は無かった筈なのに。
駆けて駆けて。でもエポナの足に追いつくなんてできる訳がない。
とうとう息が切れてしまって立ち止まり、それでもイリアは声を限りに叫んだ。
「リーンクー?」
ややあって、遠くからリンクの声が聞こえてきたような気がした。
「ごめんイリア」
と。
ファドはリンクの家の前で呼ばわった。
「おーい悪いなリンク、今日も山羊追い手伝ってくれないかー?」