山羊を全て小屋に追い込んだのは日が落ちる寸前だった。
「リンク!」
山羊を苦労しいしい誘導し、最後の一匹も柵の中に納めて小屋の錠を閉めてしまうとファドは汗を拭いながらエポナにまたがるリンクに走り寄った。
「済まなかったな、助かったよ」
「どういたしまして。まだ気が荒いみたいだしファド一人じゃ無理だよ」
「ああ腹がでかいのが何匹かいるからな、気も荒くなるさ。そんでまた数も増えるし忙しくなるぜ」
たまんねえなあという風に苦笑いして、手でぱたぱたと汗を扇ぐ。リンクが水筒を差し出すとありがとうと軽く手を挙げて中身を一気に飲み干した。そこでやっと一息ついて。
「そういえば昼時村の方に戻ったらウーリが言ってたけどモイが戻って来るらしいな?」
「え、本当?」
昼時は薪に使えそうな倒木を探しに森に分け入っていたので初耳だった。モイの名前にちょっと嬉しくなる。モイはあの後もまだ用事があるとかで子供らを送り届けた後すぐに出ていってしまいすれ違いになっていたし、村の人とは話せない種類のことが少しは話せそうな相手だ。
「手紙が届いたって。上手いことすればもう来てるんじゃねえの?ハイラルから歩いてくるのとポストマンが手紙を持ってくるのとどっちが早いかね」
「そうか…じゃあ僕も行ってみようかな」
手綱を引き、エポナを旋回させると軽く腹を蹴り、ファドを振り返る。
「ファドは行かないの?」
「いや俺はいいよ何だか疲れた。モイによろしくな」
「わかった。また明日」
あくびをかみ殺すファドに手を振って牧場を出ればすっかり辺りは暗い。穏やかな一日、いつもと変わらない一日の終わりだった。
トアル村は普段は日が暮れてしまうとひっそりと静かになってしまうけれど、極々たまには例外がある。
例えば(何年もないことだが)村の誰かと誰かで婚礼があるとか、あるいは一年の区切りの日に村の皆の無事安泰を祝うとか、あるいは村を長く空けていた人間が戻ってくるから土産話の一つもあるとか、そういう席になると村の女は馳走を作り男は酒を手配して遅くまで賑やかに酌み交わす。
その席に未だリンクは加えてもらったことはないが雰囲気はよくよく承知していたので、村に入った途端にどうやらモイの家ではなく村長の家がその場らしいと悟った。
「リンクなの?こんばんは。丁度いいわモイが帰ってきたのよ…もうお酒入っちゃったけど」
出迎えたのはイリアだった。笑うと目配せして、奥のテーブルで差し向かいで村長と杯を交わすモイを指し示す。勝手を知った家でもあるので上がらせてもらうと、イリアは適当な椅子にかけるようにと言った。きれぎれに聞こえてくる村長とモイの話は自分が割り込めるような感じでないのはすぐにわかった。
「ああなると長いわ。モイも赤ちゃんがちっちゃいんだから家に居てあげればいいのに。リンクは何か食べていく?」
台所へ引っ込みかけるイリアにリンクは首を振った。
「いやいいよ。出直そうかな」
「そう?最近面倒だからって適当に済ませてるんじゃないの、食事」
「ちゃんとやってるよ」
「本当?」
色々諭されそうな気配を察して椅子から腰を浮かすと、突然肩をどやしつけられた。
「リンク、久しぶりだな!」
「モイ!」
渡りに船で手荒くテーブルの方へ引っ張られるのにも逆らわない。イリアに軽く睨まれたがモイはわかっているのかいないのか構わず椅子を引いて座れと促す。村長は娘と目を合わすと肩をすくめた。
「村長さっきも言ったでしょう、こいつハイラルじゃ結構な活躍っぷりだったんですよ」
杯を取り上げるとなみなみと満たし、問答無用でリンクの手に押し込む。
「モイ、リンクに酒は」
「いいじゃないですかこいつだってもういっぱしの大人だし」
「そ…そうか?」
自分そっちのけで交わされる会話にリンクはおいてけぼりだった。
「…お父さん、ちょっといい?」
いつの間にか横に来ていたイリアが酒瓶をさらうと村長の腕をぐいと引っ張る。モイの腕でないのは不条理だがイリアは喧嘩する相手は選ぶ娘だ。
村長が部屋の向こうに引っ立てられてしまうと、モイはそれを横目で見ながら空の杯を掌の中で転がした。
「リンク、テルマの酒場に居た連中な、お前によろしくって言ってたぞ。また顔出せって」
リンクは頷いた。やっとまともな話ができそうだ。
「それと聞きたいことがあるんだがな」
「何?」
モイは人の悪い笑みを浮かべると腕をリンクの背に回した。小声で耳元に囁きかける。
「ハイラル城で緑色の服を着た男が凄い美人と連れだって歩いてたのを見たって奴が居る。誰のことだ?」
「…」
表情は変えずに済んだだろうか。モイの言葉は問いかけではなくて確認だがとにかく素直にそうだよと言えることではない。肯定すればもっと…答えにくい別の話題に移るだろうから。
「モイ、」
それでも何とか言い繕おうと口を開くと、背後でばたんと扉の開く音がした。
「よおモイ、帰って来たって?」
「おうジャガー!」
ぽんとリンクの肩を叩くとモイは離れていった。久しぶりという挨拶から始まるとりとめのない話を耳に、リンクは吐息をついた。
「…あれ、リンクの奴いつの間に居なくなったんだ?」
いとまを告げる際、モイは家の中を見渡すと呟いた。
「随分前に。帰ってきてからあんまり元気がないのよリンク」
テーブルの上をかたづける娘に同意を求められるとボウは頷いた。リンクが押しつけられた杯は中身も手つかずのまま置かれていた。
「まあなんだ、リンクみたいな若いのにはこういう田舎の生活は合わんのかもな。それがハイラルに行って判ってしまったのかもしれん」
「…へえ?」