速水は舞の荷物をバッグに詰め込んでいた。
外では先生の車が待っているから手早く、とは思ってもどうしてものろのろしまう。
退院して舞と二人、ままごとのような生活を送って10日、15歳の芝村舞はプラネタリウム以来戻る気配を見せなかった。
善行と本田先生と坂上先生は相談を何度か重ねた結果とうとう舞の実家へ連絡を取り、一旦彼女を帰すことにしたのだった。
そのことを伝えると舞は素直に承諾した。ごねもしないその素直さが悔しくてたまらなかった。
遅くはあっても、彼女の荷物はどんどんバッグに収まってゆく。とうとう最後の一つを詰め終えて、ジッパーを閉めると速水は舞に声をかけた。
「さ、行こうか。もしも忘れ物があったら後で送ってあげるから」
「はい」
部屋を出て鍵をかけ、道に出て車中の本田先生と坂上先生に向かって軽く手を上げる。
「すいません、遅くなりました」
「用は済んだか」
「はい。よろしくお願いします」
ドアを開けてバッグを置き、舞を促して彼女の背中に手を添える。
「父上」
朝からうつむきがちだった舞は思い切ったように顔を上げた。速水は無理矢理笑った。
「会いに行くから」
「父上、…行きたくありません」
帰らなくてもいいんだよと思わず速水は言いそうになったが、口を結んで首を振った。
ドアが閉まり、車が走り去った後も速水はしばらく立ちつくしていた。
多目的結晶が招集を告げるまで。
戦闘の結果は大勝利だった。
3番機は不在だったが、新戦力が加わったのだ。
先任のスカウト2人より大分小柄な、スカウト速水の誕生だった。死にに行くのは止せと周囲は止めたが、元々体は鍛えてあるのだ、レーザーライフルを手に見事ナーガを2体地に沈めた。
瀬戸口は『八つ当たりだ』と評して言ったがそういうわけではなく、ただ何もしていないのに耐えられなかったのだ。何もしていないと帰りたくないと言った舞の顔がちらついて、頭一杯を占められてしまいそうだったから。
自分は出来る限りのことをしたし、それでどうにもならなかったのだから彼女を実家に帰すのは最良の選択だったろう。けれど彼女は果たしてこの小隊に戻って来られるのだろうか。
全開にしたシャワーの水滴が痛い位に膚を打つ。
横から太い手が伸びてくると、ハンドルを捻った。
「長風呂やってるとふやけるぞ」
「…若宮さん」
「さっきお前がナーガを仕留めたとき、後ろからゴルゴーンが近づいてたの気がついたか?」
「え?」
「来須が仕留めた。…芝村が帰ってきたときに死んでたら元も子もないだろうが。気をつけろ」
速水の髪をくしゃくしゃにすると、タオルを巻き巻き若宮はシャワー室から出ていった。
溜息を一つつくと、速水も頭からタオルをかぶり、脱衣所に入る。
これからちょっと整備を手伝って、それから家に帰って。もう一緒に帰る人はいないけど。
シャツのボタンをしめていると、ドアが慌ただしくノックされた。
「速水君!まだ中にいますか」
「はい」
ネクタイを掴んで外に出ると、そこには善行が立っていた。何やら厳しい顔をしている。
「どうしたんですか」
「芝村さんが行方不明になりました」
「?だって今朝実家に」
「教官の車で送って行ったでしょう、信号待ちしているときにドアを開けて走って逃げたらしいです。…それに」
シャワーを浴びたばかりだというのに嫌な汗が背中に吹き出すのを、速水は感じた。
「それに?」
「逃げた方向は私達がさっきまで幻獣と派手にやってたところなんですよ、間の悪いことにね。今病院に負傷者の照会をしているところです。運良く戦闘に巻き込まれなかった可能性もあるでしょうから芝村さんの足で行けそうなところは小隊の皆で捜索をかけますよ」
空気が凍りつく。
芝村舞が戦場にごく近い場所で、崩れた民家の壁に足を挟まれて倒れているところを発見されて病院に収容されていると判明したのはそれから3時間の後だった。
小さな影が自分の横を駆けてゆく。
その影に、思わず声をかけた。
「…そなた、どこへ行くのだ?そんなに急いで」
影は足を止めた。
「父上に言わないといけないことがあったんです。でも言い忘れてしまって。…だから父上のところへ」
「そうか」
影においつく。
「…何を言い忘れたのだ?」
小さな影は振り返った。
「それは」
口をぱくぱくと動かす、が、どうも急に耳が遠くなったようだ、声が聞き取れない。
影は真っ直ぐ向こうを指さした。
諦めると、影の差す方向に足を向けることにした。周囲は次第に明るくなってゆく。
ふと振り返ると、影はいない。
足の痛みに舞は目を見開いた。
鼻腔に流れ込んでくる消毒薬の匂いに白い壁、白い天井。身じろぎして、自分の右足に包帯がきつく巻かれているのを見る。
(それでは負傷したのだな私は)
うかつだった。スキュラが完全に息の根を止められたことを確認してから次の敵に移るべきだったのに。それにしても隔壁が崩れてきた筈なのに足をやられているとは、随分おかしな怪我の仕方をしたものだ。
(そうだ、厚志は)
視線を移すと、速水はパイプ椅子に腰掛けたまま、自分が寝かされているベッドにふせっていた。思わず安堵の溜息が出る。あの状況で怪我がなかったのは幸いだ。
「厚志」
速水の肩をそっと揺する。
「…ん」
目をこすりながら、速水は顔を上げた。青い瞳が大きく見開かれる。
次の瞬間、視界が暗く息苦しくなった。速水の胸に抱きしめられているのだと悟るのには数秒が必要だった。
「…な!」
「舞!よかった。皆して探したんだよ。でも…本当に良かった。僕達が戦ってた場所と舞が倒れてたところ、そんなに離れてなかったんだから…」
「…?厚志、とにかく離せ。苦しい。息ができぬ」
「骨は折れてなくて捻挫だけだって。運が良かったって先生が…」
と、唐突に速水は舞を解放した。舞の肩に手を置いて、その顔をまじまじと覗き込む。
「…今、僕のこと厚志って呼んだ?」
「そなたは速水厚志だろう」
「…舞、年はいくつ?」
「馬鹿にしているのか?」
そなた自分のカダヤの年も忘れたか、と、棘を含んだ言葉を発することはかなわなかった。
速水の、先程より数倍もの力を込めた抱擁に阻まれて。
道路に影が二つ落ちる。
舞は速水と肩を並べて歩いていた。舞が少々足を引きずりながらなので、ゆっくりとだったが。
「…じゃあ全然覚えてない?」
舞は首を振った。記憶は被弾した日で途切れていて、あれから既に10日が経っているなどとは信じずらかったが、まさか医師と速水とクラスの皆が自分をかつぐような暇なことをするとも思えない。
その10日間、自分はどこで何をしていたのかについて尋ねたが、皆困ったような苦笑をするばかりで語ろうとはしないことも、また不可解だった。
「覚えていないから先程から尋ねているのに、何故じらすのだ?」
「本当に、覚えてない?」
とにかくその10日間に関して、何か支障があったということなのだろう。
速水の顔に浮かんでいるのは…落胆だろうか?
「そなたも残酷だな。わからないことを尋ねているというのにそのようにして奇妙なあてこすりをして私を嬲る」
「覚えてなかったらちょっと残念だと思って」
しかし速水は気を取り直したようにいつものぽややんとした笑みを浮かべた。
「それならこれから僕の部屋に来る?…話したいこと、沢山あるから」
差し出された速水の手を、舞はそっと握った。