なつのこばなし

今までだって日没時にこの界隈を出歩いたことがないわけではなかったけど、馴染みの商店街は姿を普段とは変えていた。
車の往来が頻繁な県道と繋がる通りが通行止めにされてしまってコーンが警備の人間と共に道の真中に立ち、街灯には臨時に仕込まれた電線と提灯とが下がり、道の両端にはぱらぱらと屋台が並ぶ。街灯の明かりが搾られた代わりに照らす提灯の淡い光の下ではいつものこの時間帯よりやや多めの人達が浴衣や軽装で楽しそうに笑いながらそぞろ歩きしていて、ただそれだけで何となく異空間だ。
「ああわかった、 county fair か」
晶乃の隣に並ぶイザンは通りを珍しそうに見渡すと言った。
晶乃は思わず聞き返した。
「…イザンくん、今何て言ったの?フェア?」
イザンは律儀に和製英語も日本語発音で喋ってくれるけど、どうも当てはめる言葉がないときは発音はまるっきりネイティブだ。
「アメリカでも規模は違うけど丁度夏時にこんな感じのイベントがあちこちで開かれるんだよ。カウンティフェアって言われてる。さあ晶乃もご一緒に。カウンティフェア」
「カウンティフェア?」
鸚鵡返しするとイザンはいたずらっぽく笑った。
「やっぱり純国産日本人は発音がへったくそだよねー」
「ひどーい」
祭りのざわめきが耳に届く範囲に近づいて以来、「やっぱりこれがお約束でしょ」と、繋ぎっぱなしだった手。イザンの晶乃の手を握る手に軽く力がこもった。
「…とはいえあっちの箱実のラボなんてイベントも何もないような津川以上の辺鄙な場所だからボクも一度も行ったことないんだけど」
「え?」
晶乃は思わずイザンの横顔を見返した。イザンは時々思わぬ変化球を投げてくることがある。そういえば彼は以前に入院していた期間が長かったとか聞いたことがあったような気がした。
それに気付いてか気付かずか、イザンは繋いだままの手を引いた。
「百聞は一見にしかず、というわけで脳内予習は済んだから早速失われた青春の1ページを取り戻しに行くよー☆」
「あのね浴衣と下駄ってあんまり早く歩ける組み合わせじゃないんだけど…」
「じゃあゆっくりで」
そして、二人揃って人ごみに紛れてゆく。それ以上に適した速度もないと思える歩調でのんびりと。

結論から言ってしまえばあっさり馴染めた。予備知識がいくら頭の中に入ってはいてもそれに行動ががちがちに縛られるわけでなくて状況を楽しむ素直さと柔軟さ位はある。
晶乃は居並ぶ屋台をこれはこうであれはこうで、と一つづつ説明してくれた。一通り解説をして貰えば後は楽しむだけだった。規則的なのか無秩序なのか判らない並べられ方をした屋台のおもちゃの意味不明用途不明さは西も東もいずこも同じと思えたし、派手な着色の食べ物に晶乃はそれはちょっとと顔を顰めて首を振ったけど逆にこちらにとってはそういう配色は異郷で旧知の人間に会ったみたいだったし、そもそも寮の生活で無国籍的な食事には慣れっこだった。そこら辺から適当に買い求めてみれば別に不味くはないしだからって涙を流して喜ぶほど美味しいわけじゃない。価格が適切かどうかは別として。(晶乃は「お祭り値段」って言うんだと言った)
そうやってふらふらと屋台をひやかし、晶乃の先になり後になりながら歩いてゆくとやっぱり目を奪うのは浴衣姿の晶乃だった。総一郎に見抜かれてずばりを言われたのは癪だけど服が違うだけなのに吊られた提灯を通したオレンジ色っぽい明かりの下、彼女は水の中をゆったりと泳ぐ金魚みたいに艶めいて見える。転入してから今までの短い間にも周囲の同級生が異性絡みのあれこれに振り回されるのは傍観者として見て小馬鹿にしてきたのに、これが彼女に抱いてる感情の作用って奴なんだとしたらそんな自分を随分現金だとも思う…でも自分がそういう馬鹿の一人なんだと思い知るのも決して不愉快じゃない。
強引に一緒に出かけようと迫ったのは久し振りに顔を合わせた彼女が夏だというのに出会った晩冬の頃そのままに、いやそれよりも不健康な感じに色白なままだったからだ(そしてそれに全然気がついてない総一郎にも腹が立つ)。
すっかり寛いでいる様子で色々教えてくれたり、こちらが振った話に時折笑いを浮かべる晶乃の柔らかな曲線を描く顔を見て、その弾んだ声を聞くと連れ出してよかったと素直に思えて。
横であ、と、晶乃が小さく声を上げたので不意に引き戻された。
「何、どうかした?」
「ううん大したことじゃないんだけど」
晶乃は首を振りながら屋台の中から一つを指差した。屋台番の人間の後ろに簡単な段がこさえてあってその上にガラクタっぽいものが並んでおり、おもちゃの銃が台にたてかけてある。
「射的でしょ?それ位知ってる」
これまで見てきた色々な屋台はほぼ知らないものばかりだったけどぱっと見でこれ以上分り易いものもない。
「そうなんだけど私空気銃を使う射的って見たことないの。さっきは型抜きの屋台もあったし出てる屋台が何だか懐かしい感じのが多いなって、それだけ」
「ふーん」

…そういえば男の子と二人っきりでお祭りに来たことってないんだっけ、と思う。
そんなことを改めて思い返してしまう位イザンの振る舞いは自然だった。さっきこの手のイベントには行ったことがないなんてちょっとびっくりな発言があったけどそれでも彼のエスコートは手馴れてるというか全然押し付けがましくなくて、まるで何年も前から自分達はこんな風にしてましたからこれが当たり前ですよって錯覚してしまいそうな感じ。
速く歩けないと言うと歩調をほぼ完璧に合わせてくれる。自転車や急いた人が動きづらい浴衣を来た人間が避けるにはしんどいスピードでこちらに向かって来るとそれを見越して軽くこちらの背を押して促す。路上に段差があると彼がいつの間にかそっち側に立ってて平たい方を譲ってくる。これまではデートみたいなことはしても平坦な場所に平らな靴と普通の服で出かけていたからそういう所作が目立つこともなかった。そしてつかず離れずって感じで手を握って。
かと思うとあれこれの屋台や、商店街の駐車場に組み立てられた仮設のステージに対する説明へのイザンの反応は遠慮なく子供っぽく(これって何なの?美味しい?晶乃は踊らないの?見てみたいなボク)、エスコートの態度とは正反対でちぐはぐだった。
イザンは働いている環境からなのか枯れて悟り尽くしてるような発言をすることも結構あるけど、ちゃんとこういうところもあるんだとわかると嬉しいしどきっとさせられる。そんな両極端さは間違えたら自分の弟でもおかしくない位の外見とあいまって何だか不思議…でも嫌いじゃない。彼のことは知らないことがきっとまだ沢山ある。そしてもっと知りたい、とも思う。
勿論自分のことだってよくわからないことがあるのに人のことを深く突っ込んで知ろうとすることはとてもとても難しいことだ。そもそもこの年齢で社員として会社に属しているんだし彼には彼なりの事情がある筈。でもそれでも、ほんのもう少しでも自分が立ち入ることを許してもらえるなら。
「…あ」
思わず胸に手を当てる。こんなこと考えちゃう位なんだ。
「何、どうかした?」
歩きながらも見知らぬ色々を飽かず眺めていたイザンが不意にこちらを向いた。…ちょっと恥ずかしい。
「ううん大したことじゃないんだけど」
慌ててるのを誤魔化せるかどうか、とりあえず適当な屋台を指差した。レトロな感じの射的屋。
「射的でしょ?それ位知ってる」
「そうなんだけど私空気銃を使う射的って見たことないの。さっきは型抜きの屋台もあったし出てる屋台が何だか懐かしい感じのが多いなって、それだけ」
「ふーん」
言うなりイザンは屋台に寄って退屈そうにしていた店番の人に声をかけてお金を渡し、無造作にいくつか並んでいるおもちゃの空気銃の中から一つを選んだ。その構えを見たその途端、何だか殺気というか本気というかそういう空気がふわっと彼の周囲を取り巻いたような…とにかく物騒な気配を感じた。
イザンの横に行くと彼のシャツの裾をちょいと引っぱり、耳を貸すように言うと彼は頭を傾けた。
「あのねイザンくん」
「何?」
「こういう景品を取る屋台って都市伝説があって」
「都市伝説?」
「あまり取りすぎると怖いお兄さんが出てきて暗いところに連れて行かれるっていう…」
「別に平気だけどそんなの?」
イザンはけろっとして言った。思えば彼に通じるのが無理そうな話ではある。ので表現を変えた。
「うん、そうだと思うけどとにかくやりすぎないようにって」
「程々にってこと?わかった」
イザンは引鉄を引いた。
ぽんと軽い音がした。