「楽しそうでよかった。じゃあ、家についたら電話してね」
ぽわわんとした笑みを浮かべると、速水は舞に手を振りながら去っていった。
立ち止まったまま、彼の後ろ姿を見送ってしまうと舞はがっくりと肩を落とした。
「…いくじなしめ」
誰に言うでもなく、小さく呟く。
屋上で告白したあの日からもう5度目のデートだ。
その度戦闘に出る前のような緊張でぬかりなく準備をしてきた。髪を丹念に梳り、更紗があなたに似合う色よと教えてくれた口紅をさして。
父に戦闘以外のことは自分でなんとかせよと言われて以来、出来る限りのことは自分でなんとかするべく(例外もあったが)努力してきた。その自負が舞にはあった。それに小隊には自分と同い年位の少女も沢山いることだ、その手の情報収集には事欠かない。
というわけで心の準備もおーるおっけーあとは実践だけ、という一人ガンパレード状態で毎回のデートを迎えていたのだが、デートの最中、速水の顔に浮かんでいるのはいつものぽややんとした笑みばかりであった。いつもにこにこしながら手を握っていてくれる…がしかし、『それ以上』のことがなーんにも、ない。
もう自分のカダヤにすると決めた以上、どんなことをしようがされようがそれは受け入れられるのだ、と、腹を括った舞にとってはそれはちょっと肩すかしだった。
そういえばいつだったか、速水が手を握りながら真剣な顔をして呟いたことがある。
「時々怖くなるんだ。こうやってね、何かに触ると壊しちゃうんじゃないかって」
己が身は丈夫ではないがそれほどやわな造りでもない。だからもう少し大胆になっても構いはしないのだが、速水は構っているようであった。
舞は帰り道を歩きながら策を考えることにした。
「訓練をする、後で来い」
夕暮れ時、舞は速水に言い渡した。
「僕も頑張らないとね」
速水がまたぽややんと笑う。
「ええと今日は何を?」
「あれだ」
舞は指さした。風に揺らぐサンドバッグ。速水が頷く。
「じゃあ時間を計るから。最初は10分でどう?」
「いいだろう」
舞はがしがしとサンドバッグに拳を打ち込んだ。バッグがたわみ、遠く離れては戻ってくる。
手元が狂ったのかもしれない。
舞が殴ったバッグが戻ってくると、横で時間を計測していた速水を直撃した。
「軽い…脳震盪…ね。大丈夫…よ」
速水の瞼をひっくり返したり脈を取ったりしたあと、石津は断言した。
「感謝を。そなたがいなかったら病院に連れてゆくところだ」
「いいえ…これ…が…衛生官の…仕事…だもの」
日が落ちて、速水は詰め所のベッドに寝かされていた。
舞と石津が見守る中、不意にごろん、と速水が寝返りを打つと、何か呟きのようなものを漏らした。
「ところ…で…後を…まかせても…いいかしら…」
言うなり、石津は救急箱を抱えると詰め所から出ていった。
(…気を効かせたか)
彼女の姿が消えてしまうと、舞は速水の頬を叩いた。
「厚志、厚志!」
ぺちぺちぺち。
ややあって、速水は薄く目を見開いた。青灰色の瞳はぼんやりと煙っている。
「…あ、れ…舞…?どうしたの…?」
「私の叩いたサンドバッグがそなたに当たったのだ。覚えてないか」
「…うーん…」
ようよう体を起こすと、速水は頭を押さえた。
「…何だか頭が痛い…」
「前頭部も後頭部も打ったからだ。少しここで休んでいると良い」
舞は速水の隣に腰掛けると、速水の背中を抱きしめた。広い背中だった。速水の全身が一瞬、緊張するのが伝わってくる。
「舞?どうしたの?」
「…その、済まなかった。私の不注意だ」
背中にふにゃふにゃしたものが当たるので、速水は冷や汗を浮かべた。
「ううん、気にしないで。…ところであの、もう少し離して貰えないかな、体」
「断る」
ただならぬ雰囲気に、速水は慌ててベッドからずり落ちた。
見上げると舞は腰掛けたまま、泣きそうな顔で肩を震わせていた。
「…そなたは私に触れるのがそんなに嫌いか」
「…はぁ?」
「いつもそうだ、いつもいつもいつも、いつも」
「…あの…」
好きとか嫌いとかではないのだがこの状況で誰かが来たら激しく誤解されるだろう。
それだけを考えると、速水はやっと立ち上がった。
間髪入れず、舞が抱きついてくる。ポニーテールが揺れていた。
「ま、舞…」
両手を宙に彷徨わせて、速水は自分にしがみつく少女を見た。とりあえずそうしないと済まないような気がしたので、腕をおずおずと舞の背中にまわす。
舞は顔を上げると、きっと速水を睨みつけた。
「そなた私にこんな恥をかかせて、ただでは済まんぞ。…その、なんとかせよ」
速水は朦朧とする頭で一生懸命なんとかした。
不器用な速水と奇妙に積極的な舞が結ばれるのはまだまだ先の話。