ククゼシ好きさん12のお題・きょうだい
遠くから誰かが呼んでる声がする。
「…ククール…おいククール」
体にまとわりつく暗闇はねっとりと暖かい。それをようよう振り切って目を開くと、いくつかの見知った顔が自分の周りを取り囲んでいた。
「…俺のことわかるか?」
一人が恐る恐る、と言った感じで尋ねた。
「…クレイグだろ」
皆明らかにほっとした表情になる。どうしたんだよ、と言いかけると急に吐き気がこみ上げてきた。子供じゃあるまいしこの場で吐くわけにはいかない。皆を押しのけてとりあえず他所へ行こうとする。
「馬鹿、頭打ったんだぞお前!じっとしてろよ」
ああそうだっけと合点がいくのととうとう堪えきれずに胃の中のものが逆流してくるのは同時で、夕飯前の空きっ腹だったのは幸いだった。
皆が担架、とか、救護室へ、とか、治癒の呪文を、とか騒いでいるのが頭の中でわんわん反響する。
「団長、ククールはとりあえず救護室へ連れて行こうと思いますが…」
離れたところに立っていたマルチェロはその許可を求める声にただわずかに頷いただけだった。
担架に乗って運ばれながら、どうせ無駄だとわかってはいたけれども兄の方を見てみると一瞬だけ視線がかちあい、また離れてゆく。
案の定その緑色の瞳はたとえ目が合っても弟なんか見ちゃいない。見ようとしていないと言った方が正しいかもしれない。
「受け身を取り損なって頭打つなんてお前の仮病も段々手が込んできたな」
「そんなんじゃないって、本当のほんまもんなんだから…」
吐き気がしてベッドの脇に置かれた瓶を慌てて引っ掴んだ。もう胃の中身なんて吐き尽くしたのに苦い液体が出てきて止まらない。
背中をさすられてようやく収まり、ククールは差し出された手ぬぐいで口元を拭った。
「頭は体の中でも色々難しい部分だからね、一晩おとなしくしてなさい。脱け出して遊びに行くなよ」
「…何それ、呪文使えばいいんじゃねえの」
「このまま何もなければお前の吐き気はただ頭が衝撃にびっくりしてるだけで呪文なんか使ったって無駄だし、見極めるにはちょっと時間が要るんだよ。それにどうせそろそろさぼりたいと思ってたんだろう?」
言われてみればその通りなのでククールは素直に黙ることにした。
何か食べるものを取ってきてやろうと薬士が部屋から出て行ってしまうと体が一番楽な姿勢を取り、盛大に溜息をついた。
組み手の最中だってのに気をそらした俺が。
マルチェロがこっちに来たのはただ単にいつも通り、皆の組み手の具合を見る為だけだってのに気をそらした俺が。
いつも通りにやってきたマルチェロと本っ当ーに珍しく目が合っちまって動揺した俺が。
大丈夫か、とかそういう普通のいたわりの言葉を期待した俺が。
ふっきれない俺が。
「…俺が全部いけないって言うのかよ」
今まで何百回何千回心の中で繰り返してきた言葉をつい口に出す。
薄暗い部屋が急に寒々しく感じられて、ククールは毛布を肩に引き上げた。
はじまりは、普段どおりの皆との外遊びだった。
とても登りやすそうな枝振りのいい木があって。
誰が一番高いところへ登れるか、なんて話になって。
女の子だからっていい家のお嬢さまだからって上品ぶったりなんかしない、靴を脱いでスカートの裾をまとめて短く縛って身軽になってどんどん登って、そしていつのまにかもう枝が大分細い、木のてっぺんに近い場所まで登ってしまっていて。
改めて見下ろすと他の皆は自分より随分低い場所に居る。
そして自分が降りるのも怖い位高い場所に居るのに気がついて凍りついたように動けなくなってしまったのはちょっと前。
皆がこちらを見上げながらわいわい騒いでいる。とりあえず手近で一番太い枝にしがみつきながら足を適当な枝に下ろそうとするとみしっという怖い音がして、涙が出そうになるのをやっとこらえた。
足を下ろしかけては止め、を繰り返してどの位の時間が経っただろう。よく聞き慣れた声がした。
「…ゼシカ!」
「ゼシカちゃんサーベルト兄ちゃん呼んできたから」
下で兄が両腕を広げてるのが見えた。
「ゼシカ大丈夫だから、もし落ちても受け止めてあげるから降りておいで」
「だって落ちるのが怖いから降りられないんじゃない!」
怒鳴る声が震えているのが自分でもわかる。
「僕がゼシカをだっこして下ろすのはその高さじゃ無理だって!大丈夫だから」
「だって怖いんだもん!」
どうにもならない押し問答に、兄が他の子と何か相談しているのが聞こえてきた。
「…じゃあ僕が下から見てどの枝に足をかけたらいいか教えてあげるからさ、その通りにしてみて」
「えー?」
見下ろせば頷いている兄。
兄がこういう時に嘘をついたことなんてあったっけ?いやない。
ゼシカは下に向って叫んだ。
「…どうしたらいいの?」
無事に降りることが出来た後、もう疲れちゃって歩けないとわがままを言う妹を兄は黙っておぶった。村へ帰る道はそれほどの距離でもないのに。
兄の肩に腕をかけ、ゼシカはほっとした途端に忘れていたことを思い出して兄に声をかけた。
「…あのねお兄ちゃん」
「何?」
「これ新しい服だったのにこんなにして叱られちゃう」
縛ったからくしゃくしゃになってしまったスカート。木の枝や幹にこすれて大分汚れてしまった上着。元々遊び着なんかじゃなくてお嬢様の着るお上品な服だったから、そのくたびれぶりは見事な程だった。
「じゃあ僕が一緒にお母さんに謝ってあげるから。木登りに誘ったのは僕だって言えば」
「本当?」
「その代わり明日のゼシカのおやつは半分僕の」
その言葉で母のお小言の怖さも大分薄らいで、ゼシカはほっとしながら兄の背中に頬を寄せた。
「ごめんなさい」
「いいって。次は降りられない高い場所まで登らないんだよ?」
答える代わりにゼシカはこくこくと頷いた。
ククールは呆れたように同じ言葉を繰り返した。
「…だから、大丈夫だって。何もしやしねえよ」
「…」
だって、と口の中で小さく呟きながらゼシカは助けを求めて他の皆を見た。
先刻の戦いで敵の矢が姫の方に飛んできたと憤るトロデをなだめているギデオン。
肩と背に刺さった矢を引き抜いて、とりあえずの間に合わせで薬草を傷口にすり込んでいるヤンガス。
ククールはその視線を読んで肩をすくめる。
「ぼさぼさしてると日が落ちちまうし、俺もギデオンももう魔法は使えねえ。早いとこどっかの町でも村でも行っておかないと危ないぜ?」
それでも最後の悪あがきと、ゼシカは立ち上がろうとした。
足首に走る激痛。
「…た!」
ククールはそれ以上待たなかった。ゼシカに背を向けるとしゃがみ込む。
「ほら、あんまり無理するなって」
ゼシカはしばらくためらった後、渋々ながらククールの背に体を預けた。
「変なことしたらすぐ下りるわよ」
「はいはい。明日の朝になったら一番で治すから今晩は冷やしておこう。悪いけど少し我慢しといてくれよ」
背中の重みに嬉しくなりながらククールは声をかける。どうせ伝わらないけれど本心から彼女をいたわる言葉。
本当に久々の人の背に自分を預ける感覚に一番最後に自分のことをおぶってくれた人間のことを思い出して、慌ててその思いを打ち消してゼシカは答える。
「…ありがとう」
「どういたしまして」
ククールはほんのちょっと笑うと立ち上がり、動き出した馬車の後を追った。