2020.11.03 22:01
薄くて軽い話
エヴァンゲリオン辺りの時代は周囲から否応なく押し付けられる役割にどうしてなんだそんなの嫌なんだよというシンジ君にシンパシィを抱く人共感する人がたくさんいたわけで
シンジ君にシンパシィを抱く人たちが実社会で押し付けられてる役割ってのは親であり子であり家族であり、様々だったわけですが
大体それまでのアニメはロボットアニメ辺りだと人を救う役割、ロボットに乗り込む役割に登場人物は(大体)NOとは言わなかったんで
そこにやってきたシンジ君はまさしく等身大だったわけで
そこから時代は移りました、諸々の重圧は昔よりはるかに楽になりましたが否定しつづけてたら自分の周囲は空白になったけどそのまんまだったわけで
そう空白になったからってそこを埋めるものがそうそう都合良く出てくるもんでなく空いたところは空いたまんま長い時間が経ちました
振り返るとまっさらな場所で自分は一人
叩いてもぽこぽこと空虚な音が返ってくるだけ
だから郷愁を込めて、センチメンタルに、家族とのぎっとんぎっとんな縁と役割を描く鬼滅が好意的に受け入れられるんじゃないかと思うんよね
あといちいち説明的でわかりやすい台詞とかってのも思わせぶり・はったり上等で言葉の数は多いけど実は何も語ってない設定とかのカウンターじゃないのかな
あと20年くらいしたらまた無気力いやいや系主人公の創作物が流行るんじゃないか(適当)
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